2012年11月5日月曜日

マレー紀行 第2日目 マラッカ徘徊

昨日は皆さん旅の疲れもあってか、ぐっすりとお休みになったようです。昨夜のビールも効果があったのかもしれません。マレーシアの多くの宿は朝食が付いているのが一般的です。ここもその一つです。宿によってはその内容が様々ですが、APA KABAホームスティでは簡単な朝食が出ます時にはマレー風中国風のお菓子などもつくことがあり、コーヒーや紅茶が飲み放題というのも嬉しいものです。
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朝食を終えてから午前中は博物館回りです。マラッカの市街はダッチ広場を中心にしてチャイナタウンやリトルインデァ、セントポールの丘や博物館などが集中していますから、歩いて回るのも容易です。皆さんをダッチ広場に案内した後は自由に博物館を見学してもらうことにしました。その間当方は両替に奔走です。ここマレーシアでは街のあちこちに公認の両替商が数多くあり、お店によってレートが異なります。多くの両替商は銀行での両替よりもレートが良いのです。3件ばかり回ってみたのですが、一つは土曜日で休業でした。インド人街に一箇所開いていましたが、ここは1000円で36.8リンギットです。他に一箇所ショッピングモールの一角では37.8リンギットです。両替する金額が高額になると、この差はばかにはなりません。ここで皆さんから預かった費用の一部100,000円を3860リンギットに交換することにしました。1000円で1リンギット(約27円)の違いですが、10万円となれば100リンギットの差がでてきます。この国では一般労働者の2日分の日当に相当します。マラッカからKLの中距離バスの料金は11リンギットですから、5往復することができます。屋台でのラーメンや焼き飯などは3-5リンギットですから、100リンギットといえども馬鹿になりません。昨年のマレーシア滞在時は円高でレートが良く10,000円で400リンギットを超えることもありました。まあ今回はこのレートで手を打つことにしましょう。


こうして、あちこちレートの良い店を探し、両替を済ませて再度皆さんと合流です。時間も丁度お昼ご飯が近くなりました。昼食はマラッカ・ラヤにある「経済飯店」というセルフサービスのお店です。自分で好きな惣菜を盛りつけて会計係りの所で支払う簡易なシステムです。この店の宣伝では100種類以上の惣菜が歌い文句です。まさしくそのとおりで何種類ものおかずが並べられています。便利で明朗会計なるシステムで誰でもすんなり入れます。マレーシアは回教国ですからマレー系の食堂ではアルコールは一切ご法度ですが、中国系のお店にはいるとビルがしっかりと並んでいますから安心です。今回の我々の旅にはもう一つの目的「ビール研究会」なる部分も見え隠れし始めました。早速何種類ものおかずを好みに応じてお皿に盛りつけ、缶ビールを一人一本づづ加えての合計は4人で71リンギット(2000円)という破格の値段でした。風通しの良い屋外のテーブルで快適な昼食を楽しむことになりました。真昼間からバイキングという感じがしないわけではありません。

午後からはリキシャ試乗とリバークルーズが待っています。体力温存を兼ねて宿で一休みをして繰り出すことにしました。さてダッチ広場にはリキシャが待ち構えています。料金は一台一時間規定の40リンギットです。どれでも良いからともかくチャイナタウンを一周のコースを選び出発です。リキシャは二台必要ですが、一台に声を掛けるとすぐに相棒を手配してくれます。さていよいよ出発です。我がリキシャの運ちゃんは子供が7人いるとかで生活が苦しいと訴えています。はぁはぁっっ!でも一時間で40リンギットの稼ぎは悪くはないでしょう。昨日は雨で乗客も殆どいなかったようです。でも通年の観光地ですから彼らなりに何とか生活をしているのでしょう。概してアジアのリキシャマンは不評を買うことが多いのです。日常生活に密着していたリキシャはアジア界隈から次第にその姿を消しつつあります。そんな中でここマラッカのように観光地には息づいているところもあります。生活に密着したリキシャに乗るとすれば、それはミャンマーかもしれません。未だに各地で活躍し、市内からバス駅や市場への往来に庶民も利用しています。バングラデシュの片田舎でも、細い田んぼのあぜ道のような所はリキシャのお世話になった記憶があります。インド東北部のシルギリの街は今でもリキシャが活躍していますが、その数は大幅に減りました。巨大化する都市でのリキシャの走行は無理があるようです。インドのカルカッタやバナラシなどではリキシャの走行できる道路が定められています。ましてや、リキシャの運転手も高齢化し始めています。所得の向上に伴い自家用車やバイクの普及で交通量が増加し、リキシャはその影が薄くなる日々です。マラッカの花リキシャ(結構派手にキンキラキン装飾されて、音楽をガンガン鳴らしながらゆっくり漕いでくれる)は、ここならではの風物詩かもしれません。さて、リキシャに案内されたPURI HOTELはしっとりした佇まいで、商家の民家改造の宿とでもいいましょうか!一度は泊まってみたい宿の一つです。内装もしっかり、部屋代をみても二人で140リンギットとそんなに高くもありません。概してマレーシアは諸外国に比べるとホテル代と交通費が安い国です。特にマラッカは競争が激しいのでしょう。あちこちに看板を見受けることがあります。こんな値段でいいのかとびっくりするぐらいです。のんびりと目線を変えての町並み見学も乙なものがあります。あっという間に1時間が過ぎてしまいました。帰りはリバークルーズの乗り場で下車です。続いてリバークルーズです。今日は盛りだくさんのプランが組み込んであります。
船着き場のすぐ近くにあるオープンカフェでテータイムを過ごしてから川下り、川上りに挑戦です。料金は一人15リンギットです。昨年までは10リンギットだったのですが、今年は値上がりしたようです。これには外国人料金が表示され、マレーシアの人は10リンギットです。往復40分ほどのクルーズです。いくつもの橋をくぐり、古風な川沿いの町並みを眺めながらの快適な遊覧船でした。地中海の豪華なヨットのクルーズとは全くかけ離れたものですが、庶民の楽しみとしてのクルーズとしては十分な内容かもしれません。いつも、朝から夜までこの船は賑わっています。マレーシアの児童や家族連れに人気があるようで、皆楽しそうに笑顔を見せています。わずか1時間足らずですが、こうした開放された時間は人生には時々必要になってくるのかもしれません。
クルーズを終えてから歩いて10分ほどの所はマラッカ川の河口です。ここから海賊で有名なマラッカ海峡が始まります。セントポールの丘からは時々大型タンカーがゆっくり航行しているのが見えます。丁度日没の時間になり、中原氏はナイスショットが出来たようです。この港からはインドネシア行きの高速フェリーが運行され2時間足らずで隣国へ行くことが出来ます。
マラッカの歴史をひもとくと、以前はインド系の王国(スリビジャヤ王国やマジャパヒト王国)が栄えヒンズー文化の影響を深く受けていました。その名残があってか、今でもマレー語には多くのヒンズー語が外来語として定着しています。その後アラブの貿易商の侵攻、ポルトガル、オランダそして英国の支配を受けました。第二次大戦中は日本の支配も受けています。そして戦後1957年に独立しています。石油産出国として国家の財政も悪くはないようで順調に近代化を成し遂げている国です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
特にマラッカは、そうした遺産をコンパクトに一つにまとめた都市とも言えるでしょう。諸外国との接触が如何に多い地域なのかを改めて感じさせてくれる土地柄です。日本とは全く異質な街の形成を見ることができるわけです。
こうして無事クルーズも終え、再び歩行者天国のチャイナタウンで夕食です。サティ(串焼き肉)をつまみにビールで乾杯。大瓶ビール3本を入れても夕食は80リンギットでお釣りが来ました。路上に置かれたテーブルで好みの菜を注文して・・・・・。昨夜とは打って変わって、今晩は雨の心配もなく人でも多く賑やかです。今日も異国情緒満点。忙しい一日おつかれ様でした。

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