2012年11月9日金曜日

マレー紀行 第8日目 ペナン2日目徘徊


昨日は4人部屋の二段ベッドでしたが、皆さん比較的ぐっすりとオヤスミになった様子です。今日で旅も一週間を超えています。それそろ旅の疲れが出る時期なのですが、以外と年齢の割には元気そのもの、あちこち歩かされる毎日ですが、無事難なくこなしていらっしゃるわけです。朝食は8時半から始まります。宿の料金一人25リンギットには含まれていますから、遠慮なく頂けるのです。トースト、コーヒーそして焼きそばなどが用意されバイキングスタイルですから、好みの品物を好きなだけ選ぶことができます。さて、今日はこの宿でもう一泊したいのですが、適当な部屋はイスラム教の大祭が始まっているので見つかりません。冷房も効き、ちょっと洒落た雰囲気の漂うレッドインというゲストハウスです。通常なら簡単にツインの部屋がゲット出来るはずですが、マレーシアの連休にひっかかったのは、まずい事です。事前に調べて日程を調整して日本を出発するべきでしたが、航空券を購入した後では変更も難しく、結局マレーシア版民族大移動に巻き込まれることになりました。日本のお盆とか正月のような混雑に見まわれうことがあるのです。しかも土曜日曜が重なり4日間の連休になっているようです。今回はイスラム教徒の大祭で特に回教徒の多い東海岸はさらなる混雑が予想されます。そんなわけで苦渋の決断を下す羽目になりました。東海岸も西海岸とは雰囲気が大きくことなり、イスラム色の強い地域です。日曜が休みではなく金曜日が休日になる地域で、町を歩いてもやたらとスカーフに覆われた女性が目立ちます。様々な日常生活の規制が厳しいので外国からの観光客にも敬遠されている地域とも言えるでしょう。でも、ここマレーシアではど
こにでもインド人街と中国人街がありますから食事そしてビールには不自由することがありません。まして、観光客の少ない地域ともなれば宿さがしにも不自由することはありません。穴場といえば穴場なのですが・・・・。しかも残り日数の配分も怪しくなって来ました。同行している中原さんとは20年ほど前に、ここペナンに来たことがありますから、まだまだ新しい場所としての東海岸も未練が残っていたのですが・・・・。まあもう一日ここペナンでゆっくりしてKLに向かうという案を採用することに決定したわけです。
さて、この混雑は避けようがありません。そんな中を午前中は郊外にある極楽寺を訪問です。ジョージタウンの郊外にある中国寺院は立派なもので、豪華絢爛としています。通常東洋の真珠とも呼ばれるペナン島の中心街はジョージタウンと呼ばれています。中心街には多くの中国系、インド系住民が住み、郊外に行くとマレー人が多くなります。インド系や中国系は移民として英国の植民地時代にゴムや紅茶のプランテックの労働者として移住したようです。インドの移住を眺めてみると、その範囲は広く英国の統治時代の名残もあってか、遠く東アフリカにも存在しています。私が30年ほど前に出かけたケニアにもインド系のお店が数多くありました。フィジーもインド系住民が今も数多く住んでいます。ミャンマーの首都ヤンゴンは西側が中国人地区、東側がインド人地区となっていた時代もありました。中国やインドでは人と人との交流が個人レベルでなされ、移住や婚姻などが国境を超えてなされる事が良くあります。日本の場合は一時期の南米への移民、戦時中の満州への移民などが挙げられますが、個人レベルというよりも、国家ぐるみ。また近年になったからは、会社ぐるみで特定の家族が派遣されるという形をとっています。こうしたアジア社会を眺めると、明らかに異なった形態で人と人との交流が頻繁になされているのが良くわかります。
ここ極楽寺もそう云った移民達の集まり、そうした人々の寄進で運営されているのでしょう。やはりマレーシアはモザイク国家、多民族国家の代表格なのかもしれません。インドの寺院にしても同じような事が言えるでしょう。遠く故国を離れても自分達のルーツを失わないように、必死にその文化を継承していこうと言う姿をあちこちで見出すことができます。
午後は、宿を引越しをしてから島の北東部にある漁村テロック・バハンをペナン森林公園を訪問することになりました。バス代金は一人3リンギットです。このペナンのバスは新型車両が導入されエアコンもバッチリと効き快適に島内を走っています。しかし、注意したいのは、常に小銭や少額紙幣を準備して置かなければなりません。行き先を運転手に告げ料金箱に指定された金額を投入する仕組みです。3リンギット20セントの支払いの場合5リンギットを入れてもお釣りは出ません。一度投入すると絶対もどせなくなるのです。それに比べると地方の市内バスは路線によって未だに車掌が乗り込んで乗車券を販売しているので安心して利用できます。ペナンのワンマンバスにはご注意ください。市内の渋滞から抜け出すとスイスイと海岸に沿って終点のテロックバハンの村に入ります。終点で降りた所がペナン州立森林公園の管理事務所です。この公園は夕方6時まで開放され、入園料は無料なのですが、氏名を登録しなければなりません。ここを訪問した記念にもなるわけです。こうしてのんびりした公園内を1時間余散策しました。ジャングル内はうっそうとした樹木が生い茂り熱帯雨林を感じさせてくれます。海辺も近く、近所の女高生がハイキングを楽しんでいたり、家族連れが砂浜でむつまじく遊んでいる光景が印象に残ります。日没まで、この漁村風景を楽しみ市街に帰ったのはもう7時を過ぎ、周囲は暗くなっています。
さて、今日の夕食は屋台村(紅園)です。広いオープンレストランに何軒もの飲食店が入り込んで活気に溢れています。中央にはステージがあり、週末は何らかのイベントが開催されるようです。システムはいとも簡単、まずは自分のテーブル番号を記憶します。それで好みのテナントにいき絵にかいてあるメニューを指させばOKです。テーブル番号を聞かれるのでそれを言えば席まで運んでくれるのです。そして品物が届いた所で現金払いという至って明瞭会計で安心できます。一品が5-15リンギット程度の品物が多く並んでいます。簡単な英語さえ出来れば誰でも利用できるシステムです。そして飲み物はカールスブルグやタイガービールの会社のロゴ入りエプロンを着けた専用のスタッフが仕切りに勧めてくれます。そのサービスの良いこと、栓をポンポン開けてカップに注いてくれます。どうも、これは歩合制になっているようで、本数によって日当も上がっていくようです。さて、ここでのスタッフの顔ぶれを見ると、どう見てもマレー人とは思えません。ネパール系の顔立ちをしています。それとなく聞いてみるとはやりそうです。ランカウィの中国レストランで働いていたのもネパール人でした。一人はもう20年ほど、ここに住んでいるそうで、もう一人はつい最近来たばかりだそうで、ここで少しお金を貯めて母国に帰り自分で商売をする予定だとはなしてくれました。
ここマレーシアには多くの外国人が出稼ぎに来ています。そして、出身国も多種多様です。ネパール、バングラデッシュ、南インド、インドネシアそしてミャンマーなどで占められています。現在、ネパールの出稼ぎは50万人程度いるとかで、これは非常に大きな数字です。カトマンズで以前マレーシアに出稼ぎに行った友人の話を聞くと、マレーシアではお金が貯まらないそうです。色々な誘惑が沢山あって、小遣いが沢山いるとの話し。それに比べると中近東への出稼ぎのほうが収穫になると言っていました。戒律が厳しくアルコールなどが厳禁な国ならばすることはありません。出費も少なくて済むようです。日本でも国内での出稼ぎという習慣が続いたことがあります。冬が厳しく仕事のない東北から多くの人々が出稼ぎを体験していたわけですが、その期間は数ヶ月程度のもので、同じ言葉が通じ、風俗習慣も同じ地域で仕事をしました。しかし、ネパールやバングラデッシュなどからの出稼ぎとなると事情は一変してしまいます。殆どが若い男性が多く、ネパールの国は若い人々が少なくなり、特に村では老人と婦女子のみの構成になりつつあります。ネパールとマレーシアは飛行機でおよそ5時間の距離ですから、首都カトマンズから5時間といえば、カトマンズとポカラを車で走る時間です。ですから、昔の人が船で何ヶ月もかけて目的地に着くのとはわけが違います。しかし、長期に渡って家族と離れて暮らすことになります。用事がってちょっと帰国といっても高額な費用がかかります。母国に主要な産業がなく、海外に出稼ぎの道を見出さなければならない現実には悲しいもの、悲哀さを感じる事もしばしばあります。30年以上も前ですが、ネパールからバングラデッシュのダッカを経由してヤンゴンに向かったことがあります。当時のダッカの空港は出稼ぎに行く人々でごった返していたのが思い出されます。家族たちが大勢見送りにきています。故国を離れる人々には悲壮感と希望が交錯したような印象を与えてくれました。前後関係からすると日本人は非常に恵まれているのかもしれません。しかし、近年はニートの増加や閉じこもり現象などが大きく報道され、それらは贅沢な悩みに感じてなりません。マレーシアでの出稼ぎは日当が一日40リンギット程度が標準なようです。釣果労働の分で食事代や部屋代などを捻出し残りは本国に送金するわけですが、ネパールの友人によると、中には出稼ぎに行ったけども、半年経過してもまだ一銭も仕送りがないというケースもあるそうです。
今日の宿は2部屋で160リンギットでちょっと割高。お祭り価格とでもいいましょうか?一応エアコンもあり、トイレ・シャワーもついています。しかし、部屋には窓もなく扉を閉めると真暗になるのです。ああ、ちょっと今日の宿は失敗だったかなぁと深く反省!でも色々な宿を経験するのも旅の楽しみなのかも!この宿私達の泊まった部屋の後ろ側が地元のレストランの従業員の溜まり場みたいだったようで、深夜になるとガンガン音楽がなり始めました。インド系のおばちゃんが経営する不気味な宿だったわけです。概して第一番は中国系の人が経営する宿です。清潔で値段は少々張りますが設備も良いのですが、計算高い部分があります。でも安心して泊まれるでしょう。そして次はマレー系の宿とインド系の宿が同列に並ぶかもしれません。幸いにインド系の宿はアルコール禁止令はありませんが、マレー系の宿ではまずは控えるべきでしょう。勿論豚肉料理の持ち込みも禁止です。こうした異文化がちょっと離れた場所で共存して見ることができるのは日本ではまずありえません。
さて、今日の話は少し固くなってしまいました。食後は有名なCHULIAストリートをゆっくりとゴキゲンで宿に帰り着くことが出来ました。

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