ゆっくりと朝食を終えて今日は一日自転車でマラッカ市内を散策予定です。宿には貸し自転車が一台しかありません。歩いて10分ほどの貸し自転車屋に向かいました。昨日下見をしていた貸し自転車屋は9時から開くと聞いていたのですが、まだ開店していません。それで隣の自転車屋兼ネットカフェをあたってみました。ここでは自転車が3台しかありません。我々は4台欲しいというと、奥からもう一台変速機付きの自転車を用意してくれました。一日の貸賃は一台10リンギット(260円)です。夜の11時までに返して欲しいというわけです。パスポートを預け、保証金400リンギット(4台分)とレンタル料40リンギットを払いました。珍しいことに、ここではちゃんと領収書と預り証を出してくれました。タイのアユタヤの貸し自転車はのんびりとしています。一台4リンギットでパスポートを預ける必要もありません。保証金も不要でした。幸いに今日は雨の気配もなく快適な自転車日和になっています。
こんなわけで、10時過ぎに出発することが出来ました。昨日は色々なイベントがありました。船にも乗り、人力車にも乗り・・・・。自転車で街を回ると行動範囲が大きく広がります。ママチャリ3台とギア付き一台で出発進行です。まずは有名なブキット・チナ(中国人墓地)を目指しました。ここ中国人墓地は上まで行くのを省略して、麓の一部を回って次の目的地セント・ジョンの砦に向かいました。市内はかなりの交通量があるので、交差点を右折する時は自転車を押して歩行者として移動しました。これが最も安全な方法でしょう。左折は問題ないのですが。小さな丘の上にそびえる砦は市内の遺蹟群から離れているので訪問する客も少なく閑散としています。小さな砦ですが、ここから海を眺めながら、故国から遠く離れて移住した当時のオランダの
人々は、どんな想いをしていたのだろうかと想像を巡らすのも楽しい一時です。今はこの丘から海岸線までは住宅や高層ビルが連なっていますが、当時の海岸線は、この丘の麓まできていたのです。近年の都市開発で埋め立てを行った結果、海岸線がどんどん押しやられてきました。現地の地名を見ると良くわかります。JALAN PANTAIという通りがありますが、英訳すると海岸通りです。でも何故かしら海岸から程遠い場所になっていることがしばしばです。ペナンでも同じ現象を見つけ出すことができます。
オランダやポルトガルの植民地の跡は、インドやスリランカにも数多く残っています。そんな中でスリランカの南西部ゴールにある砦跡は半島のように突き出た形をし、頑強な石造りの城壁に囲まれた立派なもので、砦内には住民が暮らしています。インドの西海岸にあるゴアは元ポルトガルの植民地として知られ、今でもインドで最も西洋的な雰囲気の街として知られています。またバスコ・ダ・ガマの眠る土地としても有名で、教会や、当時の面影をしのばせる建築が残っています。
続いてポルトガル村に向かいました。ここの住民はポルトガルの血を受け継いだ人々が住む集落として有名で、その多くはキリスト教徒です。海に面した広場があり、レストランが並んでいます。ここでお茶を飲んでしばし休憩です。
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午前中最後の徘徊ポイントはマラッカ島にある回教寺院です。この島は埋め立て地として造成され分譲住宅が立ち並んでいます。しかしひっそりとし、誰も人が住んでいる気配がありません。以前友人に聞いた話によると、地盤沈下が起きて人が住むには危険な場所だそうです。半官半民で造成された不良宅地というケースはどの国にも存在するのかもしれません。政府が多額の補助金を出して作ったものの赤字垂れ流し、誰も責任を負うこともなく、建設業界が潤い、造成を引き受けた住宅公社のトップも痛手を被らない仕組みになっているそうです。今はその修復工事らしきものをしているようですが、この工事さえ活気がありません。
しかし、この島の最奥には立派なモスクが威容を誇っています。イスラム教徒の家族連れで賑わうこの寺院を我々も見学です。さすが石油産出国で財政が豊かなのでしょう。豪勢なつくりでモスクの礼拝堂には心地よい潮風が吹き込んできます。異教徒は中に入れるのですが、礼拝堂はご遠慮くださいと警備員から注意がありました。
さて、時間はお昼をとっくに過ぎました。今日も経済飯店で昼ごはんが待っています。モスクの見学を終えて一直線に食堂に直行です。例によって今日も好きな一品をお皿に盛り合わせ、缶ビールで疲れを吹き飛ばす算段です。食事を終えてから2時間ほど宿で一休み。午後からは街の反対方向にあるヒンズー寺院の探訪です。
2時間ほど休憩をとって再び自転車でサイクリング開始です。しかし、小雨がぽつりぽつりと始まりました。まあ、大降りにはならないだろうということで、強行軍です。さて10分ほどで目的地のヒンズー寺院に到着です。独特な装飾を施した南インド風のゴプラム様式(塔様式)の本格的な寺院です。南インドとマレーシアは古くからつながりがあり、英国の植民地時代には多くの移民がゴムや紅茶のプランテーションに従事していたそうで、今のその子孫がマレー国民として、この地に生活をしています。そうした中で自国の文化や伝統をかたくなに保持し現在に至っています。この寺院の神官は南インドの人で出向神官とでもいいましょうか!こうしたケースは良くあります。一昨年東マレーシアのクチンを訪問した時のヒンズー寺院の神官はタミル系スリランカ人で毎年ビザを更新しながら職務についていました。こうこれで五年目とか話をしてくれました。神官の出向のみではなく、結婚も南インドのタミル・ナド州からお嫁さんをもらうケースもしばしばあるようです。単一民族社会の日本ではちょっと想像しがたいかもしれません。ゆっくりと寺院を拝見したのですが、雨が次第に激しくなりました。自転車で漕いでいくのは無理です。30分ほど待ってみたのですが、一向に止む気配がありません。やむなく小雨が降しきる中を、傘をさして押しながら宿に向かいました。さて、移動を開始して10分ほどすると次第に空が明るくなり雨も上がり始めました。ああこれなら、もう少し待てば良かったと後悔の念に駆られてしまいました。大変な経験でもあり、思い出に残る場面でもありました。まさか、こんな不運に巡りあうとは!旅には色々な事件が待っています。夜はいつもの様に屋台でビール付き。今日も一日無事終了です。
平均年令63歳を超えるにもかかわらず、昨日、今日と数多くのイベントをこなすことが出来ました。本当にお疲れ様です。
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