2008年10月 |
2012年2月 |
子供たちにもそれぞれ特性があります。中でも一番やんちゃなのはスラジです。小学校4年生ですから、年齢10歳となります。学校の授業は全て英語で行われています。といっても教科書が英語で、現地語(ベンガリ語)と英語をごちゃまぜにした授業です。同じ部族の子供達同士では故郷の彼ら固有の言葉で会話をしています。他の部族の友達とはヒンズー語かベンガリ語を話します。まだ小学4年生のスラジは4つの言葉を混ぜこぜにして日常生活を送っています。いや、驚くばかりです。津波が来たらどうするかと質問すると「ヘリコプターで逃げるんだ」と返答します。夜の自習の時間には、全員が食堂に集まるのですが、その中でもスラジはいつも賑やかにはしゃぐので、先輩から時々お叱りを受ける事もあります。。
以前タコが食卓にのった事がありました。タコは一般的にインドでは食されることは稀です。おそらく、ヒンズー教の人々はこれを口にすることはまずはあり得ないでしょう。しかし、ここ僧院は、モンゴロイド仏教徒の巣窟です。ミニミャンマーと言われてもおかしくありません。スラジに「タコを食べるとお腹の中で動きまわって外に出ようとして今夜は眠れなくなるよ」と脅しをかけました。それを本気にして、えええぇ!と今にも吐き出そうとして必死です。後で冗談と気がついてほっと一安心。朝になると時々私の部屋に朝食を運んでくれることがあります。「おはよう、叔父さん」と元気よく声をかけてくれます。彼らは朝6時前には起床し、6時半からの朝の瞑想に参加します。そして朝食が7時です。私が起きるのは朝8時前ですから、その頃をめがけて私の部屋にやってくるわけです。時々7時前に来ることもあります。しかし、彼らの明るい声に、今日一日が励まされます。
スラージは大きくなったら軍人になりたいそうな!機関銃で敵を皆殺しにするんだと戦闘的な発言をします。以前みた映画ランボーか何かの影響でしょうか?しかし、もう一つ意図する所があります。彼らの中にはバングラデシュ国境付近からの出身が多くいます。国境といっても、実際の生活には国境があるようで、ないような状況です。国境線を超えて直ぐの所に叔父さんがいたり、嫁入りしたりしています。Mog族やMarma族などビルマ系の人々は国境をまたいで分散して生活しています。戦後インドが独立してから、定められた国境線は、この地域の住民を国籍と言う名で分断されてしまいました。以前、この地域はラカイン王国として、ビルマ西部とバングラデシュ東部の山岳地帯を含めた広大な地域を統治していました。近年は国境線が敷かれ、バングラデッシュでは、イスラム教徒が勢力を強め東部バングラデッシュを占領するようになったわけです。日本で話題になりませんが、いわゆるバングラデッシュでの少数民族の圧迫によって半難民の状況に置かれる人々も多くないようです。そうした地域からの子供たちはどうしても反イスラムの思想を持つことになります。今は高校に通うチョウゾウは、大きくなったら、イスラム教徒を追い払うんだと息巻く事がしばしばです。
さて、今日は彼らの仲間がどのように成長したものか、写真でお知らしましょう。2008年10月と2012年2月、3ヶ月半のビフォーとアフターをご覧ください。
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