2012年2月7日火曜日

僧院の子供たち その3

いやはや、今日はすごいものを見学しました。昼過ぎに学校に勤務するシブと共に、お茶と散策を兼ねて出かけるのが最近の日課です。さて、僧院に帰りついた途端に総院内が活気づき始めました。あれこれしている間に、院内の椰子の木に見習い僧が登り始めました。早速ビデオ撮影を始めたわけです。今から椰子の木の剪定作業が始まるようです。いやはや、その姿には圧巻されました。彼らは木登りの名人です。何の苦労もなく、スイスイと登っっていきます。勿論安全ネットなどあるわけもなく、落っこちたら大怪我をするのは目に見えています。

その一人が、ここで居候しながら通信教育を受けているShwe Thain Mogです。まだ20歳前ですが、叔父さんが日本で仕事をしているようで、時々仕送りがあるそうです。以前彼はスリランカの僧院で二年半の間修業をしていたそうで、私が時々シンハラ語で話しをすると、懐かしそうに答えてくれます。近々試験が始まるそうですが、そんな事はそっちのけで、威勢よくこの行事に参加です。日中は院内でブラブラしているか、僧院前のグラウンドでクリケットに熱中する姿しかみかけません。叔父さんからパソコンをもらったようで、多少はそれで、遊んでいるのでしょう。いわゆる標準的なインドの学生とも見受けます。多くの学生は数学が特に苦手なようで、中学三年生でも、円柱の体積を求めたり、球体の表面積を計算したりするには、すごく時間がかかります。勿論、彼もそうした一人でしょう。いつもニタニタ、ニコニコしています。以前、同じカルカッタ市内で別の僧院に住んでいたのですが、同郷の友人に恵まれないでいた所、運良くこの僧院に入り込むことができたようです。
さて、インドの学業の標準は日本の生徒のように、塾に通ったり、熱心に授業に耳を傾けることはありません。ミッション系や一部の学校では規律が厳しく、かなり高度な授業が行われる所もあるのですが、多くは、このボデスカ・スクールを含めて適当に授業が行われているのが実情です。学生の質も決して高いとは言えません。英語で授業をしているのですが、日常会話は現地語になり、英語を使うのは学校の授業時間のみです。まあ、それでも最終的には卒業して単位取得までこぎつけるわけですが、どうも怪しげな採点でインド社会は成り立っています。勉強しているのか、遊んでいるのか区別がつかないインドの学生の典型みたいなものです。
先日、ウィンドウズ7のアルティメット版でOSを自由に切り替えられ機能があります。このボデスカ・スクールの事務局の仕事を一手に引き受けるシブはコンピューターの操作も上手で、チラシやポスターなどを上手に作成してくれます。会計処理もTallyというソフトですんなりと入力して書類を仕上げています。しかし、英語力が完全ではなく、パソコンの画面の英語表示を適当に解釈しながら操作しているので、かなりの部分で無駄をしているわけです。それで、何気なく、「これをベンガル語に切り替えて(OS全体)て使えばもっと便利だから」と言うと、彼は妙な返答を出しました。いやいや、そうしたら益々わからなくなるよ、私はベンガル語の読み書きはよくわからないから」日常会話は何の不自由もなく話しています。しかし、読み書きは適切に出来ないということです。簡単なチラシや短い文章は何とか書くことができるのですが、それは、どこかが間違っていたり、高度な単語が交じるとお手上げだそうです。ここで一般的なインドの学生像が浮かんできます。いわゆる彼も学生の頃は英語で授業を行う学校に通っていたわけです。それで、現地語の読み書きは単純なものを除いて不可能という結論に達しました。それでも、何やから副業を含めて、一ヶ月当たり2万ルピー弱の収入を得ています。
話しは余談になりましたが、日本の真面目な学生との比較は一目瞭然としてきました。学校での成績が標準以下でも、こうした自然と共に暮らす知恵は小さい頃から生活の一部としてみにつけているようです。田舎出身の子供たちは皆ガキ大将と言えるでしょう。元気の良さを目に焼き付けてくれました。この僧院の子供たちは全員が村の子たちで、都会育ちはいませんから、誰もが木に登るのを特技としています。三角関数や微分積分が苦手でも、実生活に置いては何ら支障は無いはずです。しかし、彼らは夜になると苦手な数学に取り組まざるを得ない日々を送っています。こうして視点を変えると彼らの能力が羨ましくなってきます。同時に彼らは我々の持つ高度な知識(果たして高度と言えるかどうか最近は疑問ですが・・・・)に憧れているようです。

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