2012年2月14日火曜日

ボデスカ学園

さて、ここ僧院での暮らしが一ヶ月になります。毎日子供たちと遊んでいる日々です。おかげ様で動画編集のコツを少しばかり飲み込むことがで来ました。まずは素材が豊富にあります。そして、昨年購入したハイビジョン対応のデジカメがあります。でもパソコンがその動画を処理するに力不足が難点です。今日はこの学園で寄宿生活を送っている子供達を記録してみました。彼らが5年後に、10年後にこの動画を見るとさぞかしびっくりすることでしょう。
こうして、長期間、彼らと共に生活してみると、様々な事が浮かび上がってきます。教育はどのよう
に援助するべきなのか!この学校には、図書館がありません。一般的には、図書の寄贈が教育の一環として重要な役割を果たすものと考えれています。しかし、現状をじっくり観察してみると、どうでしょうか?この学校では英語で授業を行なっています。しかし、日常会話は現地のヒンズー語とベンガル語が主要になります。時々、グループ同士では、ミャンマー系の言葉で日常生活を送っています。結果として、中学を卒業しても英語力も完全ではありません。母国語(ヒンズー語やベンガル語は話すことが出来ても、読むことはできません。学校で、教科の一部として、取り入れられているだけです。新しい英単語が登場しても、それらを消化することなく、次々と新しい単語が出てきます。まあ、簡単な文章なら書けるのですが、200語以上の英語の作文となると、ほぼ不可能なる状況です。しかし、彼らは歳ごろになるとインターネット上のSNS(フェイスブック)にはまり込んでしまいます。その中で用いるメッセージは極めて短く、新しい若者単語がふんだんに盛り込まれています。もう、図書どころではありません。読書の重要性は私自身感じているのですが、もし、ここに図書館(図書室)を準備して、子供たちに読書の習慣をつけさせるのは容易な事ではありません。昔は郵便という手段を利用して、連絡を取るしか方法はなかったのですが、電話の進歩、携帯電話の進歩で状況は大きく変化しました。文字を書く機会が極めて少なくなりました。これは、世界中どこも同じ傾向になっています。そうして、物事をロジックで考えて行動するという方法がついおろそかになりがちとなります。
ここ、インドの学園はまだ自然が残っています。僧院内には池もあります。椰子の木が元気よく育っています。そうした中で子供たちは、授業が終わるとはしゃぎまわっています。都会の子供たちにはそうした遊び場が少ないでしょう。結局自室にこもり、ゲームに熱中して、バーチャルリアリティに触れるしかないのでしょう。彼らがこうして、伸び伸びと遊んでいる反面、社会への適応に遅れが生じてきます。当然の事として学力の低下につながり、将来になう仕事で高い所得を得る機会が失われていきつつあります。こうしたジレンマをどのようにして乗り切るものでしょうか?社会全体の構築がどのようになっているのか、学業を終えた彼らが良い職場を見いだせるものかどうか!まあ、良い職場を見出すというのは、よりよい高給を得ることと直結しがちですが・・・・。
まあ、何やかんや考えても、大きな問題です。しかし、彼らは決してそういった事を気にしている様子はありません。結局は何とかなるのでしょうね。ネパールのように、本当に実力のある人々が外に流れてしまうという実情の背景は、こうした環境からも察することができるようです。

2 件のコメント:

  1. 記録って大切ですよね。
    このサーバがあるかぎり残りますね。

    タイムカプセルってのが流行ましたが、
    デジタルの世界ではどうでしょう。
    10年後じゃないと開けない、そんなホントの凍結ファイル?って制作できる??

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  2. なるようにしかならないのでしょうね。
    何が幸せかもわからないですし。
    成功すると安定しないそうです。
    安定すると成功しないそうです。
    ムツカしいものです。

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