2013年11月25日月曜日

マレー紀行パート2 第8日目 サラワク州立博物館と対岸の村

クチンは本当に静かで落ち着いた街です。街自体がのんびりとし、KLなどの大都会のような騒々しさは全くその気配を見せません。何事もここクチン川の流れのようにゆっくりと時間が過ぎていきます。しかも、ここクチンは他の州都に比べると物価が安い事でも知られています。人種も様々で、つい50年ほど前は人食い人種(首狩り族)?が住んでいた土地柄です。

サラワク州については、以下のサイトに詳しく紹介されています

クチン市内は川を挟んで南側が旧市街で商店やお店、デパートやホテルが立ち並び賑わっていますが、北側は計画都市というか、人工的に造られた官庁街という印象です。政府関係の建物が広大な土地に整然と並び、閑散としています。やはり旧市街は何かにつけて便利です。教会や仏教寺院そしてヒンズー教のお寺などが混在したコスモポリタンな空気が漂っています。


さて、マレーシアを旅していると、そこに何かしらの自由さをしっくりと感じさせるものがあります。勿論年中暖かい気候なのであくせくしなくても良いという事も一つの要因でしょう。しかし、もう一つの大きな要因は、多民族国家で暗黙の了解の下で棲み分けがされ、人々は、宗教の違いや文化の違いがあって当然と考えているからでしょう。

他人は他人、私達は私達という意識に慣らされているので、実際の行動は相手の事を意識せずに生活することになります。日本のように単一民族だと、ああ、日本人なのに、何とだらしない、不謹慎・・・・。いやはや同胞意識が無意識に働き、窮屈な社会が熟成されたようです。結果的には、皆横並びの生活を強いられ、自由な発想、行動が出来なくなってしまったのかもしれません。

ここマレーシアは、正反対と言えるかもしれません。50年前、いや80年前は原住民のみの小さな集落が点々としていた時代から時間をかけて現在のクチンの街が形成されて来ました。クチンがマレーシア連邦に加わって丁度今年が50年になるそうです。国民は、こうした異なった民族がお互いに何の干渉もなく、生活を続けてきた経験が豊富です。

日本でも最近は在留外国人の数が増えてきたようですが、外国人の集中する場所は限られています。しかし、ここマレーシアでは、国の隅から隅まで、その分布率は異なると言え、あくまでも多民族国家です。

例えば日本のある都市で2割程度の外国人が住んでいるとしましょう。幼い頃から近所同士、例え異民族であっても多少の行き来はあるでしょう。例え行き来がなくても暮らしていけるでしょうか?そう言った観点からすると、マレーシアは先人の知恵を有しているかもしれません。

コタキナバルのタンジュンアル岬へ出かけた時も、回教徒のための屋台と中国系の屋台とが微妙な所で区分けされ、中華系の屋台や食堂ではアルコール飲料がバンバン提供されています。それに比べるとイスラム系の食堂は甘ったるい紅茶やアイスティーを飲みながらメインの食事を待っています。自分たちの文化や伝統を固く守りながら、そのアイデンティティーを失うことなく、周囲と協調しながら生きる知恵が長い歴史の中で自然に醸成されているようです。と考えると我々日本人よりも、はるかにグローバル化した思考が身についているとも言えるようです。

嬉しい事に、この州では、多くの博物館は入場無料です。ここでも遠足や修学旅行にきている生徒達で賑わっています。一通り博物館内を回って昼食です。

午後は、渡し船で対岸に出かけることになりました。川の南側からは、立派な州立議事堂の建物が威容を誇っています。その右側には、白く小さな砦(マルガリータ砦)があります。この砦への散策が目的だったのですが、船で渡ってみると改修工事とかで、見学は出来ず空振りでした。しかし、対岸から眺める景色も悪くはありません。街の北側はマレー系(イスラム教徒)の村なるようで、雰囲気もどことなく異なっています。


川辺のオープンカフェテリアでお茶を飲んで宿へ引き下がりました。リバーフロントと宿は近いものですから、食事後は夕涼みがてらの散歩に来たのは言うまでもありません。7000円から部屋があるというヒルトンは街のシンボルマーク的な存在で、灯台の如く我々の良き道標となったのです。

1 件のコメント:

  1. クチンは名のとおり、猫を大切にしている街のようです。
    街のアチコチに猫が気ままに散歩しています。
    時には、食堂に食事のオコボレに与ろうと出没します。
    猫嫌いの御仁はどんな印象をもつのでしょうか。

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