2013年11月28日木曜日

マレー紀行パート2 第11日目 サバック海岸


今日は金曜日で、この州では休日となっています。朝食を済ませて今日のメインとなるサバック海岸へのバスに乗るため宿を出発です。歩いて3分程の所は、何かしら人が群がっています。案内図をみると私達の宿の近くに、「バード・シンギング・プレイス」とかが記載してあります。運良く金曜日の朝で、会場には、それぞれが持ち寄った鳥カゴから、競うように鳴き声が響いています。

鳥はペットとして大切に飼われているのでしょう。ましてやその住居(鳥カゴ)ともなると、鳴き声を競うよりも、住居も競うほど立派なものが数多くあります。この地の人々はなかなか風流な趣味をお持ちなようで・・・・。


コタバル郊外にはサバックという海岸の村があります。第二次世界大戦の時に日本グが上陸した地点として有名です。http://www.geocities.jp/kuantansam/Kuantan/news0312.htm
ここへは、市内バスで30分ほど揺られると終点のサバック海岸です。典型的な漁村なのですが、日本が太平洋戦争の時開戦とほぼ同時刻にマレー進行作戦として上陸した地点として有名です。ここ田舎へ来ると交通規制も姿を消してしまいます。バイクはヘルメットなしでOK,3人乗りも平気、錆びついたぼろ車の運転もお構いなし。市内ではそんなわけに行かないでしょう。路上で交通取り締まりを見かけるのは日本以上かもしれません。

この村でも一番大きな店はバス停の近くにあり、漢字の混じった看板を掲げた中国系商人のお店です。

こうして、午前中にイベントを一つ終了です。昼食を終えて市街をウロウロしていると、改造車の博覧会の会場に巡りあいました。今日はこれとこれを観光というパターンではなく、街を歩いて何かあれば、烏合の衆の如く、そちらへぞろぞろ、何にも無ければそれでもOK。そんなゆったりとした旅だから、逆に様々な発見があるのでしょう。

多くの家族連れや若者が集まっています。20台ほど並んだ改造車は、思い思いの飾り立てをして並んでいるのは壮観です。その多くは日本からの中古車なるようで、日本のステッカーが貼りついています。豪華さを競うかのように、華やかな内装が施してあり、見ていて飽きがきません。さしずめコタバル・モーターショウとも言えるイベントでした。

そうそう、マレーシアの貸し自転車の多くは、どうも日本の中古が多く出回っています。注意してみると、XX市防犯委員会とか、XX警察署などのステッカーがついたままです。それが再整備されて現地に出回っているのでしょう。

マレー半島東海岸は12月、1月は雨季で時々街が水浸しになるとの話を良く聞きます。モーターショーを見学してから、ぶらぶらと川辺を経由して宿に帰着です。今回の旅は、構成年齢の割に歩く距離が結構あります。いや、歩かされるというのが正しいかもしれません。斉藤さんは万歩計持参ですから、その日どのくらい歩いたかが容易にわかります。多い時には2万歩を超える日々があります。少ない日でも15000歩程度は歩いている勘定になります。

これは、まさしく一石二鳥で健康にも良いし、費用の節約にもなります。そして歩きながらの移動は様々な発見があります。私達の旅は通常のツアーと違って、ホテルに迎えの車が来て、観光が終わるとホテルまで送り届けてくれるというのではありません。実は斉藤さんは、昨年は腰痛とかを患っていて歩くのが苦手で、前回は、「私はここで待機」というケースが多かったのです。そのリベンジを目標にして、昨年から歩け歩けのパターンに大幅に変更されたようです。その成果が見事に奏をなして、今回は時々最前列になることもしばしばです。


私も意地悪ではないのですが、意図的に遠回りをしたりすることもありました。でも誰も不平も言わず、街歩き、丘歩きを楽しんでいらっしゃるようでした。コタバルのリバーフロントとクチンのリバーフロントの規模は雲泥の差でした。でもこれも一つの発見につながるのかも! 今宵もビールが美味しく頂けるようです。


より大きな地図で pantai Sabak to Kotabaru by bus を表示

1 件のコメント:

  1. 70年前戦争に駆り立てられた青年たちはどんな思いで、この異国の
    地に上陸したのか、その後の運命はどうなったのか。
    ここの村人たちは、日本軍にどんな目に遭ったのか。
    複雑な思いを感じながら、日本軍上陸の海岸に立っていました。

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