2017年12月11日月曜日

スマトラ紀行(30) さようならインドネシア

メダンのショッピングモール
帰りのバスは、それほど長く感じることはありません。予定では12時半ごろ到着すると聞いていたのですが、慢性的な市内の渋滞に巻き込まれて2時半過ぎにメダンのALS専用のバスターミナルに到着です。それが、最近新しいターミナルが出来たようで、ゴーグルマップの地図では新設なるターミナルが表示されていません。ターミナルから我が目的地のゲストハウスへは、どうやって行けばよいものでしょう?色々な番号の乗り合いミニバンが走っています。表通りにでたものの、これでは、拉致があきません。切符販売所のお姉さんは親切に64番の乗り合いを利用してくださいと言うことで、一見落着です。再び表通りに出ると、即目的のバスが通りかかり、声を上げて(SUN PLAZA)と言えば、運転手は納得顔で、はいどうぞという暗黙の了解となりました。さて、ここで、MapsMeの活躍です。ネットの回線がなくても、地図は事前にダウンロードしてあるので、オフラインで利用出来るのが嬉しい所です。最近大都会では、どこでも一

2017年12月10日日曜日

スマトラ紀行(29)さようならブキッテンギ

パダンとメダンを結ぶ長距離バス
さて、サルマンの豪邸?に三泊お世話になってから、メダンに向けての夜行バスに乗り込みました。出発時刻は5時で、4時半までにバス乗り場に集合となっていました。予定よりも早く4時過ぎにバス乗り場に到着です。サルマンの店からはバイクで15分ほどで到着出来る距離です。お店に立ち寄って皆んなにご挨拶です。絵描きが得意なファーリ少年にも挨拶です。彼には200円(20,000ルピア)のお小遣いを渡しましたが、それが、ちょっとした問題を引き起こしました。母親が、ファーリに、「お金は預かっておくからねl」と取り上げられてしまいました。すかさずファーリは喚く、暴れるの一幕もありました。しかし数分もする間に、おとなしくなってしまいました。20円で袋菓子が買える金額ですから、小学一年生にとっては、全額をポケットに入れておくのはちょっとヤバイのも当然です。さて、今度会う時は、どのように成長しているものでしょうか?彼はいつも、学校から帰り、お祈りの時間になると、父親と連れ立って近くのモスクに礼拝に行く習慣をみにつけています。日曜は学校が休みですが、午後父のバイクで宗教学校の授業にも参加しているようで、回教徒独特の帽子を被り、なかなかさまになった光景でした。

2017年12月6日水曜日

スマトラ紀行(28) ブキッテンギ

名所時計台
今日は午前中は一人でブキッテンギ市内を散策です。町の規模は昔とそんなに変わっていません。ただ、バイクの数がものすごく増え、市内を循環する公共交通機関(市内バスの代用でオプレットと呼ばれるバスとタクシーの中間みたいなもの)が激減です。インドネシアの都市では、市場がまだ活況を呈しています。タイやマレーシアでは、大型のショッピングセンターが市内、その郊外にお客さんを吸い込んでいます。どんな田舎に出かけてもコンビニがあり、大手のスーパーが進出している状況には、インドネシアはまだほど遠いようです。メダンではコンビニを良くみかけましたが、ここブキッテンギでは、まだ数が少ないようです。北スマトラではインドネシアのコンビニチェーン(インドマートなど)があちこちにあり、大量仕入れで比較的価格も安くなっています。何といっても旅行者にとっては、価格がしっかりと表示されている点に安心感があります。イスラム教ギラギラの西スマトラでは、まだ時間がかかりそうです。
散歩の途中で小学生が校庭でブラスバンドの練習をしていたのを見かけました。校庭は道路より低い場所にあるので、上から観察することになりますから、はっきりとわかります。そんな中であれっと思うのは、教師の80%が女性という事です。この州では当たり前の事なのかもしれません。先生はイスラム教徒ですから、スカーフをしっかりと被り、声たからかに生徒達を引き回しています。猛者女教師という印象です。

スマトラ紀行(27) 末っ子ヤント



右がヤントとその息子
さて、朝起きると、サルマンは台所でお湯を沸かしています。ここは、標高1000メートルほどありますから、赤道が近いと言っても水シャワーではまだ寒い気候です。そんな事に気を配ってくれたようで、バケツ一杯分のお湯が登場です。久々の暖かいシャワーを浴びて快適でした。シャワーと言っても、タライで水とお湯を混ぜたものを手桶でぶっかけながらですから、いわゆる行水みたいなものです。
これで、心身ともにリフレッシュです。今日は、この町に住む兄や弟の家を訪問です。弟とは、何度かあったことがあります。最初出会ったのは、サルマンが高校生の時で、末っ子のヤントは10歳の小学生でした。当時の写真がでてきましたので、掲載しましょう。
左がムスリム右がヤント
どこから出してきた写真なのか、23年前の写真が大切に保存されているわけです。近年に至っては、スマホやデジカメは珍しい存在ではありません。当時は写真を撮るという事は極めて嬉しく、喜ばれていました。今でもその風潮が残っているようで、撮影しようとすると、いつの間にか人々がポーズをとって目の前に現れてきます。そしてありがとうとお礼を述べられるのが常です。
こうして、彼らとの交流が延々と続いている次第です。よく観察してみると、兄弟は皆んな似たような性格をしています。基本的には真面目で素直です。一番の出世頭が、三番目の息子モスリムです。彼は若い頃から首都ジャカルタで衣料の販売をして成功したようで、今は車も持って副業もしているそうです。歳終えた母親を引き取ってジャカルタで一緒に過ごしているそうです。今後もこの家族を見守っていきたいものと考えています。

2017年12月5日火曜日

スマトラ紀行(26) サルマンの家

マウンテンバイク!
さて、お姉さんの家で遅い朝食を済ませてブキッテンギにあるクリーニング屋に帰りました。23年程前に訪問したことがありますが、当時は乗り合い小型バスに、満員の車が走っていました。今はバイクの普及によって、朝晩に通学する子供達が利用する程度で、世の中は大きく変わってしまいました。バイクで30分もすれば町に入ってしまいます。時間に縛られることなく、便利なものです。インドネシアでは5年毎にナンバープレートを新規に申請しなくてはならないそうで、その費用がおよそ4万円ですから、一年に8000円ほど別途費用がかかります。8000円というのは、現地の物価からすると高額です。平均給与が30,000円ほどしかないわけですから、大変な出費です。勿論彼らにとっては、我々のように事前に蓄えて置くという考えは希薄です。いざという時には、皆バタバタするようですが、それが、意外と何とかなるというのが、この国の実情です。そんなわけですから、ナンバープレートのないバイクをこっそりと乗り回している輩も出る始末です。友人のニコさんもその一人なんですが、罪悪感など微塵もありません。いつもにこにこ笑ってごまかしているようです。しかし警察の取締に見つかると高額な罰金を払わなくてはならないので、それだけは避けて行動しています。

スマトラ紀行(25) 朝のドライブ

牛力でサトウキビを絞る
さて、昨日は嵐の中を無事チャンドン村に到着して、一泊しました。物音一つしない田舎の静寂は体を休めるには丁度良い場所でした。朝8時頃起きると、奥さんと子供は学校に出かけて留守ですが、旦那が一人で留守番です。さて、清々しい朝の散歩をするから、ちょっど出かける旨を伝えると、旦那は、いやいや私がバイクで案内するからと声がかかりました。さて、彼の大切なバイクは自宅の倉庫(昔住んでいた木造の建物)に大切に鎮座しているではないですか。庶民の宝物とも言える貫禄のあるバイ

https://adventures.garmin.com/en-US/by/hoshiba/candung-bike-tour
(上記のサイトで地図を画像が閲覧出来ます。)

クです。さて、このバイクの後ろに乗り込むのですが、田舎ですから、ヘルメットも関係ありません。まさしく、旦那は典型的な農民タイプで大柄な体で、気持ちもおおらかです。言葉が通じないままも、何やかやと話かけて来ます。火山の斜面に開けた小さな村ですから、格別見るものは、ないのですが、のどかな田園風景がしっかりと心に刻み込まれ

2017年12月4日月曜日

スマトラ紀行(24) チャンドン村へ

チャンドン村の家族と一緒に!
今日はブキッテンギに帰る日です。アストゥティ女史は、車で送りましょうかと親切な申し出を受けましたが、丁寧にお断りして、約束してあったサルマンのバイクを待つことにしました。約束の時間は6時となっていたのですが、これが、1時間弱遅れてしまいました。しかし、こちらは、急ぐわけでもなく、悠々としたものです。待っている間に大学の助手なるラムジルさんが、帰るのは、もう少し待っていてくださいね。とバイクでどこかに出かけました。「あなたにお土産を渡したいから」という事で待つこと数十分。彼は地元の特産品なるお菓子や味付け干肉などを買い込んでやってきました。「事前に、私はすぐ日本に帰るのではないし、飛行機に乗る時は荷物制限があるから、なんにもいりませんよ」と伝えていたのですが・・・・。開店祝として渡した封筒を開けて、びっくりしたのでしょう。封筒の中身の2割分ほど買い物をしたのではないでしょうか・・・・。後にこのお土産は、ブキッテンギの友人宅に配達することになりましたが・・・・。

スマトラ紀行(23) 最終日

観光名所!
前回は停電で授業が欠講となったので、その振替で私の滞在を延長して今日が最終日です。さて、今日もあいにく朝から停電です。予定では4時に電気が来るそうですが、またもや不幸に見舞われました。しかし学長なるアストゥティ女史は、今日は担当する授業がありません。
「今からドライブにいきませんか?今日は私は時間があいていますから!」そんなわけで、午前中から学校を抜け出して旦那さんが運転する自家用車で30キロほど離れた名所へドライブです。いやはや、優雅なものです。アストゥティ女史とは、もうこれで一週間になりますから、お互いに知己の中ですから、遠慮も何も不要です。
名所巡りに出かけました。見どころその第一番は、近代的なハイウェイです。山間部を走る道路ですが、立派な橋桁が螺旋状に出来上がり勾配を挙げて行きます。片隅には、旧道らしき曲がりくねった道も見えます。日本では良く見かけますが、インドネシアでは画期的な橋で、彼らが自慢したがるのも無理はありません。もう、坂道での渋滞やエンジンを唸らせる必要もなく、スイスイと高度を上げていきます。峠らしき場所は撮影ポイントになっていますから、家族連れやカップルが駐車して、記念撮影をしています。私達も仲間入りです。

2017年12月3日日曜日

スマトラ紀行(22) 田園でのイベント


頭の上に載せて
今日も竹祭りのイベントがありました。午前中は植樹祭に参加し、竹の苗をサゴヒルの斜面に数本植えてきました。来年もこの地を訪問して、どの位大きくなったか見学に来るのも乙なものです。来年の事は定かではありませんが、小生は、この大学の学生、教師の熱心さに深く関心を抱いていますから、可能性は7割方上昇中です。アストゥティ女史も同行で無事植樹祭は終了です。そして11時頃からは田園の中でのイベント開催の運びとなりました。州都のパダンは車で2時間ほどの距離ですが、一部の学生達がバスを仕立てて参加しています。総勢100人ほどになったでしょうか?道ともつかず、田んぼの畦道なる場所を通過して見通しの良い場所に到着しました。

2017年12月2日土曜日

スマトラ紀行(21) 竹祭り

パヤクンブの郊外にサゴヒルという小さな丘がありますが、ここが竹祭りの主会場となっています。土曜日と日曜日にかけて盛大にイベントが開催されます。朝から夜まで野外での音楽会や民族舞踏など盛りだくさんの行事です。何しろ、この町にとっては始めての開催ですから、システムがまだまだ完備されていません。しかし、最低限の設備は整えてあるようです。移動式トイレも、救急車も配備されています。保安のために警察の部隊も駐留しています。ステージの前には、竹を利用したベンチが設定されています。所々に竹のオブジェクトが配置され、これが夜になると、様々な色彩に照らされて芸術の世界に入ります。中学生らしき生徒達が大きなビニール袋に、ゴミを拾い集めて清掃しています。しかし、これは翌日の朝になると、元の黙阿弥であちこちにゴミが散乱してしまいます。昼夜を問わず、よくも人が集まるものです。バイクで二人のり、三人乗りをして、会場に駆けつけるのでしょう。にわかじたての駐車場は専門の係を配備して体制を整えようと必死ですが、直ぐに満杯になってしまいます。

スマトラ紀行(20) 忙しい日々

竹祭り会場の展示物
午前中はアストゥティ女史と一緒に竹祭りを見学に行きました。旦那さんの運転する乗用車にのって、会場付近までいきました。それから10分ほど歩くと会場です。駐車場の近くには、ボランティアの人々がたむろして、人の出入りや車のチェック等をしています。そんな中で一人のオッサンが登場です。彼は日本に行った事があるそうで技術研修とかで1年半ほど滞在したそうです。17年前に日本に出かけたのですが、今でもかなりの日本語を覚えています。私も嬉しくなりました。多少ややこしい単語も理解しています。17年前に日本に行った頃の証明として当時通っていた空手道場の会員証を見せてくれました。いや仲々ハンサムな青年でした。今は小学生の息子と奥さんの4人ぐらしだそうです。小さな村の事ですから、大体の人々は、あの人は何をしているか、どんな人なのかお互いに知っていますから正体はすぐに知れ渡ります。彼は日本で言うならばさしずめ自治会役員みたいな存在です。

2017年12月1日金曜日

スマトラ紀行(19) リサイクルショップ

REUSE SHOP
さて、講演会が終わると丁度お昼の時間です。この大学の教師陣は女性が大活躍しています。どちらを向いてもご婦人方が教鞭を振っている光景は、日本の男女均等機会雇用の遅れを様々と感じてなりません。女性が男性をしのいで活躍している社会を目前にして感慨にふけっております。その半面男性の多くは何となくひ弱に感じてなりません。特にこの地域は女系社会で、財産相続は娘へと引き継がれる社会です。
お昼は近くのレストランに招待されました。始めて紹介される人々もいましたが、殆ど女性で10人中私を含めて4人しか男性がいません。この国では男性は一体何の仕事をしているものでしょうか?

スマトラ紀行(18) 屋外授業

今日はアストゥティ女史に誘われて土木科の屋外授業に参加しました。なるほど、8年前から建設中のホテルですが、まだ全景が完成するには至りません。骨組みと屋根が出来上がり、これから内装などをしなければなりません。それにしても8年たっても殆ど進展がないのには驚きます。日本ならば半年ほどで完成するでしょうが。さて、今日の講師は竹を使った建築関係の仕事をなさっているムコダスさんですが、彼は遠くバンドンから、今回の竹祭りの招待で、ここパヤクンブに招待された人物です。インドネシア各地を回り竹の写真を撮影してデータベース化しようという考えをお持ちなわけです。残念な事に資金難で、目下の所本人のウェブサイトは現在閉鎖中との事です。話を聞くと、インドネシアでのウェブ作成の費用は馬鹿高いようです。一ヶ月に一万円ほど必要だと聞いています。いや、この国の物価からすると高額です。この問題の解決には、私が日本でレンタルサーバーを契約して、ドメインを取得して彼らが編集出来るように設定すれば年間1万円ほどで運営することが可能です。この話を持ちかけると、本人は半信半疑な顔つきです。すごく真面目そうな人物で好感の持てる人物に会うことが出来ました。一般的にインドネシア人は英語が得意ではありません。彼らの世界観はインドネシアの範囲にしかありませんから、他の世界がアルということは、ネットやテレビ等を通じて理解はしていますが、実際に外国に足を踏み入れる人々の数はそんなに多くありませんから、第二外国語の必要性も感じていません。これがインドになると、学歴のある人々は学校での授業が英語を使用していますから、会話はスムーズに運びます。