この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです
12.4再びミャンマーを考える
イラワジ川の船着き場にて |
現在の方法で半鎖国政策を続けて行くと国際社会の中で孤立化して行く様に思います。 それは望んで孤立化するのではなく、何処の国も相手にしなくなるのではないかという意味も含まれます。 産業の育成や国家の近代化への道を考えるにあたり、時既に遅しに近い響きがあります。 何とか今年はアセアンの仲間に加入する事が出来ました。 今までのスタートの遅れで外国の企業は投資意欲を失いかけています。望むと望まないに拘わらず孤立化への一面も背負いこんでいる気もします。
ミャンマーは確かに自然の環境に恵まれた土地です。 隣のバングラデッシュのようにサイクロンに見舞われる事もなく、ヒマラヤの山岳地帯の様に寒くもなく、タイランドの東北地方(イサーン)のように半乾燥した台地が続く事もありません。フィリピンのような台風銀座でもありません。矢張り宣伝のとおりゴールデンランドと呼ばれるにふさわしい自然環境と資源に恵まれた大地と解釈しても良いのではないでしょうか? 今後これらの資源がどのように利用され、人々の生活はどのように変化していくものでしょか?
勿論この国は連邦制度の国家です。 幾つかの主要な民族の集合国家の一つでもありましょう。 インドでは州が異なるごとに大きく習慣や使用される言語も異なりそれを一手に取りまとめているのが現在のインド中央政府の歩んできた道です。パキスタンは人口と国の大きさ(面積)は、丁度ミャンマーの2倍程あるかと思います。 今このパキスタン自身もシンド、バルチスタン、パンジヤビ、西国境地帯に住むパキタンの主要4部族からなる連邦制度が敷かれていますが、最近これらの部族間の対立が高まってきました。人口が増大化し産業が発達し経済的繁栄が高まると、それぞれの州が一つの国家の規模に達し民族主義が高揚されます。 結果として分離独立の要求につながります。ミャンマーも同様な問題に向うのではないでしょうか? 今後似通った問題が派生しないとも限りません。仏教の理念が何処まで生かされてこの国の繁栄に貢献していくものか、今後のミャンマーの歴史も追いかけて行きたいと思います。
ミャンマーを他の国と比較して眺める際、感じたのは国家と国民を分けて考えると答えが出し易い事に気が付きました。 国際社会には様々な形態を持った国がありますが、国家イコール国民という発想をするよりも両者は別々の場合があるようです。 例えば日本の場合国民は日常の生活にピービー言って貧しいけども国家はあちこちへ海外援助を与える事の出来る金持ち国家と言えるでしょう。ネパール政府は貧しいけども国民の中には富みを抱え込んでいる人が沢山います。ミャンマーはどのような位置づけでしょうか? 国家が貧しいから国民も貧しいのでしょうか? ここで貧しいとか豊かだと言う解釈は経済的貧困と精神的貧困の2本だてで眺めてはどうでしょうか。さらに国家と国民が別個に活動している場合もあり、これも2本だてで眺めてみてはどうでしょう。そうすると、様々な形態なる世界が存在する事がはっきりしませんか?
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