2017年4月15日土曜日

ネパールのバブル

雨が降るとぬかるみ
ネパールでも、最近は詐欺事件が横行しているようです。とある中級ホテルの隣にATMの装置があります。これが、ホテルの部屋から監視できるように、小さな無線通信付きのカメラを仕込んでいたそうです。それで、暗証番号を盗み見て、カードを偽装して大量の現金を掠め取ったとの事です。いやはやサイバー詐欺はどんどん進化しています。この悪事を働いた外国人はネパールの警察に逮捕されたそうです。
或る事件では、激化する利息競争を利用して、高利で資金を預けるとのタレコミをして、資金を集め、最初の一カ月だけ配当をつけ、その後は雲隠れする金融業者も登場です。お金持ちはそれなりに、高額の資金を預けますから、被害も大きくなってしまいます。中には、ノイローゼにかかる人々も出現しています。結局元金は保証されることもなく、泣き寝入りになってしまいます。こうした事態に備えて政府が取り締まりをするわけでもなく、野放しの状態です。

又貸す側も、慎重に事を運ばないと、その多くは焦げ付きとなる事態が頻発しています。基本的には、この国の人々の財政状況はどんぶり勘定がベースです。借りたものは、我のものが原則の社会ですから、返済は思うようにいきません。借りる時は、神様にお願いするかのように、丁重に頼みこむわけですが、逼迫した資金需要の難局を乗り切ると、後は知らんふりを決め込む輩が多く、融資には、様々な手段で保障対策を講じないと損害を被るのは目に見えています。現地の人々の難局と言えば、それが真に事業に関して必要なものかどうかとなると、大きな疑問が沸いてきます。日本では、従業員の給与に充てるつなぎ資金や、災害などの場合の緊急補修費用などが考えられますが、現地では、従業員への給与の遅配は当たりまえの世界です。最悪のケースは、「今度お祭りがあるから、その時に肉を買うから、資金貸してくださいね」という感覚です。すなわち、公私混同の社会で、家計と事業用予算が一緒になっているわけです。多くの人々は預金という概念よりも、借金漬けになっている人々が多いのも実情です。要するに、入ったお金を計画的に使うという基本がない世界ですから、あちこち借りまくって暮らしているようなもので、この習慣がはびこっている限り、経済活動は正常に機能しません。
親戚からちょっと用立ててもらう事が美徳とされる社会ですから、次第にそれはナアナアの世界に陥り、結局親戚関係も破たんするのですが、昔からのこうした関係は今すぐ断ち切れるものではありません。こうして、一見、外部の目からすれば、立派な建物の外観を見るかぎり、ネパールは進歩していると見えるのですが、その実態はぐちゃぐちゃになっています。
入金伝票、出金伝票そしえ個人の小切手などは、英語で表記されていますから、ある程度英語力のある人でないと、記載できません。それで、銀行員と顧客の間の説明にえらく時間が必要となります。かくして、取引額の大小を問わず、事業をする人々は、銀行に出向いて、膨大な時間を費やする羽目になります。ここでも更なる問題が発生します。大学を出ても、英語の理解力はゼロに等しく、受験の為の英語を記憶しただけですから、用紙の形態が異なったりすると、もうお手上げとなります。単純な変更点があっても、応用力に欠ける知識人はここでは振り出しに戻るしかありません。
大学を出て、学位を取得しても、実際に職場では、何の役にも立ちません。単に記憶さえすれば合格できる教育ですから、この根本を変えない限り、発展する社会はいつまでたっても確保することが出来ません。
且つ、ヒンズー教独自に受け継いできたカースト制度の名残を留めているので、言われたことしか作業をしないのが習慣となっている社会です。何か新しい事を進めようとしても、必ず上司の判断を仰がなければなりません。そしえ、その上司そのものも、さらなる上司にお伺いを立てるという構造になっています。自ら考えて、自ら行動するという発想は、幼い頃から去勢されている社会です。
学校では、清く正しく、これをして、あれをして等など綺麗な事を学びますが、実社会では、大違いで、誰も彼もが、ワイロにたかって暮らしている社会です。これでは、学校でならった人としての基本、道徳観が実社会では何の奏を攻するはずがありません。
外国からの援助で、草の根の募金からの支援で作られた校舎は廃墟になってしまいます。とくに地方は、無医村、無先生の地区と化していきます。一時期、パソコンなどが寄贈されましたが、誰も、これを管理する人、教える人もなく、埃だらけになって眠っているのは当然の結末と言えるでしょう。
最近は、この学位取得がブームとかで、出産後の婦人達が競って大学に通って居ます。しかし、これも単なるステータスの為にとっているにしか過ぎません。取得した学位が職場で機能するとは思えません。多くの個人企業は幹部は身内で固めていますから、内に甘く、外(労働者)に辛いという結果になっています。よしんば、雇用されたとしても、通常8時間勤務の多くはスマホをいじくりまわしているのが常です。
社会の体制を立て直すにはあまりにも程遠い現状になす術もありません。
国外からの送金の5%を農業振興に投資するように義務付けられたようですが、実はこれも骨抜きに近い状態です。農業新興の実態があまりにもお粗末な中で単に投資を増やせと政府が働きかけても、おいそれと成功するはずがありません。多くの若者は、国外に仕事を求めて、村は老人と幼い子供達だけが残されています。新しい現在の農法を改善しようとする動きは遅々として進みません。新農法を教えてくれる機関もゼロに等しい状況です。それがあったにしても、古典的な手法を展開しているだけにしか過ぎません。これだと、農村に金を配っているみたいなもので、投資されたお金は村に住む人々が、少しばかり贅沢な食べ物を食べて何にも残りません。
そもそも、この国の飛行機会社自身がインチキの塊のようなもので、タイ航空と同じ時に誕生した会社ですが、その規模は全く異なっています。何しろ国営企業でしたから、従業員は無料航空券で外遊、その費用(宿代、土産物)まで会社持ちの状況だったそうです。こうした甘い汁を吸っていた結果、3機しかジェット機を持ち合わせない会社として50年以上が経過しました。メンテもさぞかしいい加減な代物で、欧州の空港からは出入り制限がかかっています。スチュワーデスもおばばばかりの図体のデカい体で狭い機内をドスンドスンと歩いています。これだと、赤字をバラまいて飛んでいるのも当然です。
何かが大きく狂ってしまった国家です。と言っても、日本もどんどん好ましくない方向に進んでいるようですが・・・・。
インドとは、国境線はあっても、フェンスがあるわけではなく、自由に出入りが可能です。成程世界の多くの国は、国境があっても、囲いのない地域が数多く存在します。しかし、それは、地形という自然のフェンスを伴ったり、砂漠地帯であれば、人々が住めない地域として自然の国境線が成り立っています。がここインドとネパールの関係を見ると、双方共に、人々の居住地帯に国境線があり、自由に往来が可能で、明確な印も何も存在していません。主要国道にのみチェックポイントや税関が事務所を構えているにしか過ぎません。この状態で、両国間の金利差が0.1% あったとすれば、大きな混乱が生じます。対ドルの通貨を国の経済状況に合わせて独立させた場合も、大きな混乱が生じます。そんな理由でインドルピーとネパールルピーのレートは固定され、それが各国通貨に反映されていくことになっています。インドの通貨が対ドルで変化があれば、当然の事としてネパールの通貨も変動していきます。
完全に国境を囲い込んだとしても、この国の政治体制、文化が大きく変わるとは思いません。インド自身がヒンズー教の大国です。ネパールはその影響を深く受け継いでいます。国土も似たような風土にあります。自ずから政治形態も似通ってきます。
これが、同じように、国境が囲まれていなくても、パキスタンとインドでは、宗教が大きく異なり、双方相容れる事はありません。自ずから国境線が囲まれてしまいます。さて、バングラデッシュとの国境はどうでしょうか?5年前に訪問したインドとバングラデッシュの国境地帯の村は、数キロ毎に、村人が日帰り訪問が出来るように、出入り口が設定してありました。身分証明書の持参で通過可能となっています。バングラとインドは国境周辺では宗教が混在し、数キロ離れた場所に親戚がいるという状況ですから、地元住民の配慮をすれば当然かもしれません。この事例はタイ南部と国境を接するマレーシア北部でも同様な現象を見かけます。これは、あくまでも国境地帯の住民を対象にした小規模の物流、人の交流を認めるものであって、国家、経済全体に大きな影響を及ぼすことにはつながりません。こうして考えると、ネパールとインドの関係は極めて特殊なものであり、インドの視線からすれば、ネパールの経済はインドの支配下にあるともいえるでしょう。国家として独立していても、経済は他国の下に置かれているという特殊事情はいつ変化するのでしょうか?双方の国民は査証不要で自由に往来が出来、仕事をすることが出来る社会です。

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