2017年4月1日土曜日

13.名勝地



この記事は1998年にミャンマーを訪問した際の日誌を再編集したものです


 13.名勝地

13.1マンダレーヒルと周辺

マンダレーにて2002年
マンダレーヒルのてっぺんにはきれいな寺院があります。参道に当たる部分は屋根付きです。 雨季には雨除けに暑い時には日除けの役割を果たしてくれます。 熱心に信者がお参りしています。 境内には食堂もあり土産物もある巨大コンプレックスとなっています。もう少し閑静な所が良ければ一寸離れてバスで行く事の出来るヤンギン・ヒルへ出かけるのも良いでしょう。この寺院群もマンダレーヒルと同様な造りとなっています。マンダレーヒルのような混雑はありません。マンダレーヒルは3$の入場料が必要ですが、ヤンギン・ヒルは入場料金不要です。どちらも頂上からは肥沃なミャンマーの大地をじっくりと眺める事が出来ます。
他にマンダレーに郊外にはアマラプラのウービン橋という木造の橋がありま。ウービン橋付近の景色は本当にのどかなものです。日本ではどんな田舎に足を踏み入れても大きな広告板や送電塔マイクロウェーブ中継基地等が視野入り込んで耗粋な自然の姿を写真に収めようとするとかなり難しくなっています。ここではただカメラを向けるだけで自然そのものを記録する事ができます。 ウ-ビン付近は
別名アヴァとか呼ばれ一時期には王朝が栄えた町で、今も遺跡が幾つか残り、当時の名残を感じさせてくれます。 巨大な湖を横断する木造の橋は所々休憩所があります。あちこちに金色に輝く仏塔が目にはいります。付近の田園では牛車が活羅しています。この世界には金属製のものが見当たりません。それらが何となく心の安らぎを与えてくれるのかもしれません。

13.2パガンの夕日(遺跡と夕日)

パガンの夕日はいつ見ても素晴らしさを感じます。少し小高いパゴダの中腹まで出かけて眺めるのが最高です。ここで真っ赤に沈みゆく夕日をみながらパガン王朝の歴史を案じてみると空想はどんどんと広がって行きます。 最終的にはこの王朝はモンゴルのクビライハンの軍団に征服されて滅びてしまったとされていますが、それにしても誰が一休何の為にこのように数多くの寺院群を造ったのでしょうか? 世界の七不思議の一つではないでしょうか? カンボジアぽアンコールワットはまだ出かけた事はありませんがインドネシアのジャワ島の中央部にあるポロブドールは行きました。 比較してみるとこちらのほうが圧倒的に賑やかです。かたや、ポロブドールは、単体としてメインが一個しかありません。大平原の中に構築物があるのではなく山陰に隠れてひっそりと存在していました。周囲の山の大きさが相対的に遺跡自身を小さくしてしまいます。 歴史を掘り下げながら遺跡を見学する事はいつまで経っても興味の尽きない事です。 これでご飯が食べていけるのならばなぁ。
遺跡と呼ばれるものは世界各地に沢山あります。仏教遺跡として有名なパキスタンのガンダーラはその繁栄した時期があまりにも古いので現在は殆ど遺跡が風化してイメージが沸きにくい難点があります。 インドのベナレス郊外のサルナートやラジギール郊外のナーランダに残る仏教大学の跡を見学しても礎石が残るだけで本体は風化していまい、今一つ実感が出ません。インドの遺跡も雄大です。 例えばカジュラホやエローラそしてハンピーの遺跡、或いは中部インドにあるマンドゥの宮殿跡等驚きの深いものがあります。しかしこれらはかなり最近になって建造された建物ですから比較的原形をとどめています。そういうことで、何となくイメージがしっかりとつかむ事が出来るのです。
お隣タイランドのスコタイの遺跡で見る夕日もここパガンと同様な雰囲気を持っています。これらの都が栄えたのは、ほぼ同期ですが規模からすればパガンがはるかに大きく感じます。
地理上では同じような場所ですから、遺跡の景観には似た所が沢山あるのは当然です。しか.し不思議なパガンの景概であります。すぐ側にあるイラワジ川が一層その趣を高めてくれます。

13.3インレーの市場の活気は5日に一回

インレー湖周囲で最大の町がニヤウンシェです。ここは水郷地帯で常に水が豊富に在る所は自然と我々に安らぎを与えてくれます。バングラデッシュのように水害が起こる程に水が豊富であれば単に我々は自然に対して恨みをもつのですが、ここの水は一年じゅう程々の分量で我々を歓待してくれます。矢張りベニスかな?
人口が少ない地域の流通機構の原則として市場は毎日開催されるものではありません。日本でもその昔が四日市とか八日市とかの地名は指定されたその日に市が立つ事から名前ができたのでしょう。 インドネシアのスマトラ島のパダン州にマニンジヤオと呼ばれる小さな湖があります。湖を一周する道路は完成しているのですが、村々は輪番で市場が開催されていま
ここインレーでは五日間ごとの持ち回りで市場が開催されます。まるでその日はお祭りがあるかの様に市場はあらゆる種類の商品でうめつくされ活気が沸いて来ます。カラフルな市の開催となります。 朝から船のエンジンの音が心地良くこだまします。 夕方は商売を終えて沢山品物を買込んだ農民が同じ船で自宅へ帰ります。ここではまだナイロン袋の使用は一般的ではありません。自然の恵みのバナナの葉等が代用されるという世界です。
このインレー最大の町シュエニヤンの町の隅っこに回教寺院があります。ヒンヅー教の寺院もあります。寺院を守っているインド系の老人が案内役を買ってくれました。白髪の混じったインド人は懐かしそうに私のインドの土産話しに熱中してくれました。彼にとっては今後ともインドの土を踏む事なく生涯を終える事となりましょう。しかしインドへの夢は長く持ち続けているのに違いありません。

13.4ピーから眺めるイラワジ川

ピーからのイラワジ川の眺めも最高です。町の対岸は小高い山で峰々が連なっています。夕日が山陰に隠れようとする瞬間に太陽は川面をも照らしだし最高の景色を与えてくれます。小船がその夕暮れの中を通過します。絶好のシャターチャンスがやって来ます。何処かの入り江にでも佇んでいる雰囲気です。地元の人々は停電で悩まされるのですが、そんなことおかまいなしで我々の目を楽しませてくれるものがあります。夜になると新しくできた橋にはこうこうと電気で照らされ、橋は浮き立って見えます。自転車でこの橋を横断してみました。橋の区間は走行禁止で歩道の部分を押して通過する事となります。ゆっくり歩いて30分の距離です。橋の両側には兵士が見張りをしています。成る程、橋の中央部は晴天でもかなり風が強くちょっと危ない感じがしないでもありません。この川は雨季になると水位がうんと増すそうです。と言う事は現在のライトエメラルドブルーの川面が濁流となるのでしょうか? きれいな思い出のみ抱えて歩きたいのですが、人生は運命とやらに操られながらで様々な重荷を担いで生きて行かなければならないのかも知れません。 川は時として穏やかに流れ、時には狂ったように流れる事もしばしばです。しかし大河とはよいものです。私もこれからの人生をこの川に習って生きる事にしましょう。と言うときざでしょうか?

13.5ゴールデンロック(落ちそうで落ちない金の石)

ゴールデンロックはミャンマー人の間にも人気のある寺院です。地震があっても何事があってもあの宙ぶらりんでバランスを保っている岩は、落ちる事がないと強く信じられています。ヤンゴンやパゴーから直通の乗合トラックやバスが運行されています。この記事は一年程前に訪問した時の記録より抜粋しました。
“今朝はとても早く起きました。とにかく山に行くのだからと言う事で張り切りました。 6時の一番バスはとても早いので第2便の7時を使う事としました。 軽い朝食を済ませてバス乗り場に行きました。さてこれは完全なるトラック改造乗り物です。 山道専用のすごい車でした。車体は比較的新しい日本の中古の軽トラックです。三菱やトヨタダイナの型式ですが、その荷台の部分に横に板切れを6枚並べて大体5人ずつ座らされての出発でした。一人100チャットの料金はまあ仕方がないでしょう。いわゆる登山バスならぬ登山トラックと言う言葉がふさわしいようです。およそ10マイルの距離を45分で走ります。標高差はおよそ1000メ⊥トル以上在りましょう。ゴールデンロックのあるチャイトーヒルは3600フィートとなっていました。さすが海抜1200メーターあれば眺めが最高です。お寺の回りにはたくさん茶屋が食堂が並んでにぎやかです。我らのバスは発車してしばらくしたらエンジン不調で15分間程修理をしての再出発でした。現地の乗り物には定刻という言葉があるのかどうか、はっきりしないのがミャンマーの地方の交通機関なのかも知れません。あまり古い車を利用すると昨日の様に終点まで到着できない事があります。さてキンプンからヤンゴンへは12時に4-5台のバスが同時に出発します。これもしっかり車体そのものを確かめた上で切符をかいましょう。パゴーで降りてもヤンゴンまで行っても料金は同じ250チャットです。
さて我々を乗せたトラックバスは全くの悪路、すなわち日本のどこか山奥の建設現場の仮設道路とも思える道を右-ぐらり左へぐらりとよろめきながら進みます。出発地キンボンから頂上へ行く道中で奇妙な光景を見かけました。いわゆる水撒き屋といいますか。 路上に水をなげうっている人々を所々にで見掛る事が出来ます。 そういえばトラックバスは舗装してない個所はもうもうと境をあげて走ります。 帰路の話しですが、私の前に座った婦人は細かい札を何度も車から放りなげていました。多分100チャット程は散在したように思います。トラックから放り投げられたお金は水撒き屋さんが通過後に拾いに行きます。適当な感覚を置いて約50人程がこの役割を担っていました。風変わりな仕事があるものです。ともかくすごい赤土の挨だらけの道を険しい山道をぎゆんぎゆんと登って行くのは頼もしいのですが、疲れは相当なものでした。聖地巡礼で安易な道をとってはいけません。落ちそうで落ちないゴールデンロックへ遂に到達出来ました。
頂上からの眺めは最高です。山全体は標高が1.000メーターちょいですから我々山国育ちにとっては格別珍しい事ではないのですが、空気はそれとはなくひんやりとしています。 幾層にも連山が重なって向こう側に見る事が出来ます。青々とした森のヰのあちこちに寺院や仏塔が見え隠れしています。 圧巻はミャンマー人の誇りとするゴールデンロックです。
この石には不思議なパワーが存在するものと信じられています。地震が来ても、台風がきても落ちないとされている丸い巨石が断崖の隅にちょこんと乗っかっています。 人々は熱心にそこへ一枚また一枚金箔を貼り付けて帰ります。 勿論乗り物(乗合トラック)を使わずに深夜から歩いて頂上のご来光の参拝を兼ねた登山道もあるそうです。 次回は歩いて頂上に行く事としましょう。多くの参拝者が押し寄せる一大聖地としての雰囲気はたっぷりありました。

最後に

31日にヤンゴンの空港を離れバンコクのドンムアン空港に降り立ったのはその日の夕方4時半頃でした。一気に別の世界へ飛び込んだ事にすぐ気が付きました。今回は僅か26日間の旅でしたが色々な事を感じさせてくれる旅でした。情報によるとミャンマーの観光査証の延長は現在のところ、3ケ月で72ドル支払えば容易に取得出来る事を知りました。次回はミャンマー語を片言にもっと庶民に近づいてその社会の現実を探りたいと言う欲が出てきました。本当に今回の旅も感謝しております。
この記事は33日から7日までの5日間バンコク郊外のカンチャナブリのニータ・ラフトハウスにこもって原文を作成する事ができました。その後カトマンズのフジヤマゲストハウスにて写真挿入や読み返しなどをして、ほぼ完成に近いものとなりました。独断と偏見でミャンマーのレポートを作成してみました。 まだ多くの個所で文章の難解な部分や誤字脱字があるかもしれませんが、あらかじめ御了解下さい。今回の旅に出会った方々に深く感謝致します。

Saturday,March28,1998
 

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