2016年1月19日火曜日

開発と援助を考える

私が良く出かけるネパールは、最貧国として分類され今も様々な支援が国内外から寄せられています。過去数十年の間に膨大な金額が注がれているのは、周知の事実です。しかし、その進展は想定以上に長い道程を歩まなくてはならず、又その効果においても様々な疑問が生じています。こうした状況を踏まえて真の地域開発はどのように進むべきか、過去の事例を振り返って考察してみたと思います。
今でも続いていますが、通称箱ものを提供する支援団体は後を絶ちません。その典型として地方での学校の建設が挙げられます。果たしてこれらは成功しているのでしょうか?建物を建設する場合には多額の資金が必要となります。学校の不足で遠くから通学している児童が数多くいます。勉強したくでも経済的理由で学校へ通うことのできない人々も多くいます。村での学校の建設は地元の人々の願い叶え、希望と夢にあふれる地域社会に貢献しているという評価がなされます。しか
し、これは、あくまでも、支援をする側の都合のよい解釈であって、教育という分野のみに着目した答えです。地域開発に当たっては、総合的な取り組みが必要であり、そういった支援が持続される形が望ましく、将来は自立への道を歩んでこそ本当の開発援助への道につながる事でしょう。
学校を建設しても、結果的に生徒が予想以上に確保できなかったり、教員の数が不足したりするのは、数多いケースがあるでしょう。学校に図書室を設置し、多くの教材や書籍が配置されるケースもあります。中には、高額な英語の絵本や図書などが、カトマンズの本屋さんを通じて持ち込まれる場合もあります。これは、慈善団体の寄付によるものであっても、書籍購入費の割り当ての中から支払いがなされ、本屋が事前事業として書籍を寄付しているわけではありません。地方の田舎で児童にとって、それらが本当に有用なものになりえるでしょうか?最近はスマホなどの通信手段が発達し、こうした道具を持ちフェイスブックなどを通じて友人とコミュニケーションをたどる児童が増殖中です。庶民の意見が真に反映されたものか疑問が多くなります。一般的に、海外からの援助は支援する側が地元の有力者や、知識人達がその橋渡しをすることになり、地元の意見というよりも、仲介をする人々の意見が主体となっていくのは当然です。本当に必要なものは何かを見極めるのは、きわめて重要で、一部の関係者の判断にゆだねるとおうおうにして真の目的から外れることになります。しかし、地元の有力者を通じないと予定のプロジェクトが開始できないという点も見逃すわけにはいきません。ネパールのように階層社会、ヒエラルキー型の社会では、上下関係がはっきりしているので、本当の事が言えない、本当の事がつかめないという状況が見受けられ、現地の状況を正しく理解するには相当の時間がかかります。ましてや、外国人である我々は、直接受益者との話は進まず、通訳を通しての理解になり、ここでは、悪意があるわけではないが、本音が伝わりにくい状況になっています。
さて、学校建設を事例としましょう。学校の建設は支援する側とされる側双方で費用の分担がなされます。多くのケースは建設時の労務提供が含まれています。地元の人々の労務提供は地域の人々にとっては重要なイベントでもあり、奉仕によっての社会参加の意味を持ち、そのモチベーションは増加します。しかしこうした地元住民参加型のプロジェクトも数年後には、息をひそめたようにその活動が下火になるのも事実です。⒑年後には廃校寸前に荒れ果てるケースも多くありません。それは何故でしょう。
一つは地元のニーズが単に一時的に盛り上がったケースもあるでしょう。ソフト面での支援が欠落しているという部分もあるでしょう。ソフト面での支援をわかりやすい事例で説明すると、ある村で小口の水力発電プロジェクトを立ち上げ完成させたとしましょう。ハード的には、立派なものが出来上がりました。しかしこれでは不十分でソフト面の支援が必要になります。ここで、装置のメンテナンスの技術を提供しなければなりません。これは、ソフト面での支援といえるでしょう。例えば、装置が日本製品だったりすると、故障が発生した時の対応は、日本から高額な部品を調達しなければなりません。技術の習得に地元の人を研修に招聘するなど、ソフト面での支援にも膨大な費用がのしかかります。こうした状況下で、村への電気供給事業が存続できるものでしょうか?
ここで、少し話が切り替わりますが、以前南インドを訪問した時の話です。友人はネットカフェを営業していました。お客さんからカラー印刷が依頼される事もしばしばです。当時は、インクカートリッジが高額で、まともにカートリッジを交換して使えば採算が取れません。何しろ日本の物価の5分の1程度でそれに見合う給与体系の社会です。しかしカートリッジとなれば、日本並みの価格で販売されています。こうした状況で彼の編み出したのは、カートリッジに直接交換用インクボトルを接続して使うことでした。こうした方法で、価格は一気に下がりお客も納得、お店も商売繁盛への道が開けたのはゆうまでもありません。
話を元に戻しましょう。某水力発電プロジェクトでは技術者を招聘して日本風の技術を伝授したそうです。しかし、この日本式が即現地に即応するかどうかは疑問です。電気料金が日本の十分の一の社会では、現地にふさわしい解決法を見出さなくてはなりません。日本の技術は往々にして現地に貢献しているかといえば、その答えは甚だ疑問が残ります。
さて、こうした数多くの事例が停止、廃止に追い込まれるのは、設備や建物などに対しての減価償却の考えが定着していない事に原因があるようです。300万円で建設した学校のは30年後には建て直す必要があるとすれば、単純に年間10万円の資産が何等かの形で残されて行かなければなりません。一般企業であれば、こうした部分は既に織り込み済で対処していますから、会社としての持続は可能です。往々にしてこうしたNGOや援助活動の報告には、保有する資産の勘定なしで運営され、収支(損益勘定)のみに目を奪われてしまいます。プロジェクトの成功の秘訣は当初から資産勘定も含める形が必須ではないでしょうか!具体的なプロジェクトの費用やコストに対する地元住民の認識が大切な事であり、それを通じて住民の意識が一層向上するのはゆうまでもありません。巨大なプロジェクトになると、住民にとっては天文学的な数字が並び理解しがたいものかもしれません。しかし、減価償却の概念を持ち合わせれば、費用として計上される事になり、一か月の償却費用(設備等に寿命をきたし再生するのに必要な積立金の意味)は把握できる数値に収まるでしょう。こうした説明も支援する側、される側ともに重要な課題となるでしょう。
ポカラで以前友人が貸ボートの商売をしていました。当時一艘新しいのを購入するには5万円ほどかかりました。ボート購入の費用を支援したわけですが、毎日の売り上げや支出は細かに記載するようになり、儲けも結構あるようです。びっしりとノートに記載されています。本人もこれを記録することで売り上げが把握でき、張り切っていました。しかし最終的には減価償却の意味はわからずじまいだったようです。いやわかっているけど、どうしたらよいかわからないというのが実情でした。何せ手許にあるお金はあれやこれやで消えてしまう家計です。
ネパール各地はここ数年道路建設がラッシュです。ネパール中央部に位置するラメチャップに住む友人の村にも道路が開通しました。しかし政府の補助金は3割で残りは地元が負担しなくてはなりません。政府は貧しいかもしれないが、政府の高官は支給される給与以上の豊かな生活をしていますが・・・。自分たちの事は自分たちでやらなければという意識も大切なものにつながります。広い意味では、政府が地方支援に乗り出しているともいえるでしょう。
更に支援をさらに有効なものにするには、学校建設というケースで眺めた場合、学校の設立のみに集中しても問題は解決しません。地域全体の収入が上昇しなければ学校に通う余裕がなく、家事や家庭内労働などに携わる事を余儀なくされることもしばしばです。ある地域のグループは生活用水の確保が難しく、子供達が毎日数時間かけて水を得るための労力を惜しまなければならないケースもあります。水の不足は、健康上の問題を引き起こし生活をさらに困難なものにしてしまいます。現地の事情を各方面から検討されなければならないのに、欠落したまま実行されるケースも多くあります。
突如として小さな村に巨大な学校が建設されるよりも、簡素な建物で小さなプロジェクトから始まるのが理想ですが、日本とネパールはあまりにも所得格差が大きく、日本人のポケットマネーの感覚は、現地の人々にとっては、大金に見えるのは当然です。支援を出す側にとっては、この程度のお金なら・・・ということで安易な投資や寄付が行われますが、この出発点が時には、大きな過ちを起こす場合があり、いわゆる援助漬けの温床にもなりかねません。小さな規模からスタートし、状況を親密に連絡を取り合いながら、規模を次第に拡大するのが好ましい方向ではないでしょうか!
また時代と共に急速に周囲の環境が変化していきます。例えばネパールの村落は海外への出稼ぎブームが続き、彼らからの送金で収入は大きく増加しています。村落共同体として社会インフラの整備に資金を拠出する余裕もあるように見受けます。おうおうにして、こうした資金は、自分たちの故郷の復興に利用されるよりも、カトマンズ市内の不動産や大型ショッピングセンターへの投資等に注がれているのが現状です。こうした時間と共に変化する社会の構造、資金の流れを把握しながら行動しなければなりません。可処分所得があるにも拘わらず、その資金が故郷の教育に使われずに、教育のインフラ整備は外国からの援助に頼る手法が蔓延しているのが事実です。
先日ミャンマーを訪問しましたが、12年前までは自転車タクシーの時代でしたが、今はバイクタクシーの時代に変わりました。インドでは日本の新幹線が走る計画が決定しました。20年前のインドでは信じれない出来事です。いずれも、国全体として眺めると国力や収入が増加し、高品質なものが求められる時代に変化しています。教育を例にとっても、黒板の時代は次第に忘れさられようとしています。ネパールの山奥に於いても、ネットを活用したe-learningの構想は夢ではありません。固定電話の普及には設備の投資が莫大なものになりますが、携帯電話は中継塔を建てるのみで非常に安いコストで運営できるのがメリットです。私達日本では、こうたし手順を追いながら徐々に進化してきたといえるでしょう。しかしある国においては、固定電話を飛ばして、いきなり生活の中に携帯電話やスマホが出現した世界になっています。スマホの普及度は日本をしのいでいるかもしれません。海外への支援を考えるには、こうした時代の流れにも大きく目を向けながら進めるべきではないでしょうか!
本当の支援はどうあるべきか、企業の進出というビジネスラインとの違いは何でしょうか!企業の海外進出を例にとれば、現地での調査活動から始まり、代理店の設置、合弁会社の設立、技術移転を得て独立した会社としての活動という方向に順次段階を踏んで進みます。現状の多くの支援プロジェクトの行き詰まりは、ビジネスラインのステップを踏まずにいきなり、現地に会社を立ち上げたと同様なものとして見えないことはありません。
私はネパールで個人的に支援した友人がいます。もう今年で18年目になります。きっかけはヒマラヤトレッキングで出会い、本人の学習部分に焦点を充てて支援を続けました。段階を踏んで、トレッキングガイド免許の取得に始まり、英会話の習得、そして登山ガイドへの道を歩んでいます。ほぼ毎年出かける機会に恵まれ、事情を見ながらの支援が続きました。供与した資金は学業以外に使わないことが原則で、家計の費用は自分で捻出するように求めました。必要資金は、一定額までは、無償貸与で、さらに必要に応じて借用書を書いて返却要とすることもありました。本人は、借用した部分を忘れることなく、私の方が忘れるぐらいになっても、覚えていました。彼なりに自分の道を歩いていく姿が目に浮かびます。
こうした事例からもわかるように、やはり支援とうのは時間がかかるものであり、支援する側と支援される側が同じ視点で物事を考える重要性があげられます。
  1. 正しい現状の把握と将来の展望
  2. 地域の文化に根ざしながら、段階的に進める
  3. 時間と共に変化する情勢を見極めながらの継続した活動
  4. 幅広い分野を含めた総合的な支援の必要
  5. プロジェクト費用の明確化と開示
上記の項目を念頭に置いて支援を続けることが、良い循環を生み出し、自立へつながるものと確信します。

1 件のコメント:

  1. 山奥の村に 荒れ果てて放置された 学校として建てられた小さな建物を見ましたが、貴兄のレポートを読んで納得できました。

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