2015年5月5日火曜日

ネパール地震(3)

小分けしたお茶セット

まずは、これを配給

集落に到着

駆け寄る人々
さて、地震発生から一週間以上経過しました。しかし今度は支援にまつわる不具合が沢山出てきました。日本の場合はシステムが順調に作動し救援活動がスムーズに進みます。しかし、ここネパールの現場では、今までにない巨大な地震が発生し、経験のない状況での混乱が続出してい


ます。義援金の配分や支援の方法に様々な議論が噴出し答えを出すにも時間がかかり、乱になっています。日本や、その他の国から大量の資金が流れ込もうとしています。コントロール出来ない体制状況です。日本から、どこかに送金しようとしても、そのお金はどこかに逃げてしまいます。正式な方法をとろうとすると、官僚主義が空回りして、時間がかかります。必要な所に必要な資金が、そして物資がきちんと届くものかどうか定かではありません。そこに、関わる人々の私利私欲が充満しているようです。救援物資が届いても、空港で関税検査の為にストップしたり、空港の施設の脆弱性から100トン以上の機体は着陸出来ないなど、大きな問題を抱えています。政府も何から手を出してよいものか、かなり困惑しているのがありありと分かります。こうした政府の無策状態は、フェイスブック等を通して今世界各国に広まっています。SNSの威力を意識せざるを得ません。中国の政府の批判はフェイスブック上で数多く見受けるのですが、政府がそうした批判的なサイバー攻撃を潰していくのに必死です。しかし、ここネパールの場合は、政府自体がそこまでの能力がないようで、ネット上では、様々な情報が満載されています。
地震が発生してから、カトマンズから救援で村へ駆けつける人々のバス代金はしばらくの間無料になっていました。これは在るNGOが資金を提供したとの事です。カトマンズ市内からは、余震を避けようと、市内の人口の1割以上が地方に避難しています。
政府の対策もゴテゴテになり、昨日までは、許可を得た車両しか被災地に入ることが出来ないという状況が続きました。今日からは、個人の車で駆けつけることができるようになったとの話です。混乱を避けるため、そして余震の二次災害の懸念でこうした措置をとったとも受け止めることが出来るのですが、ここにも、何かしら政治上の駆け引きで暗澹とした部分を見受けます。
空港の設備の不十分、7台しかスペースのない駐機場、100トン以上の機体が離着陸すると滑走路の損傷の恐れがあり、今後の運営に支障があるのも当然です。それでいて、乗客の支払う空港税や航空会社から離発着で受け取る空港使用料などは、周辺諸国に比べると高額に設定されています。こうした歳入はどのように消えてしまったのでしょうか?
現地の新聞の報道によると、地震発生当時エベレストBCにも大きな雪崩が発生し、18人がなくなったという悲報が入っています。しかし、ネパール政府は、一週間で復旧出来るから継続可能と発表していました。そして、8日目には、それを撤回するという惨めな状況です。あれだけ大きな災害が起き、余震の可能性もある状況だと、日本では御嶽山のように、即登山停止などの措置を取るはずですが、ここにもネパール特有の一面が現れています。エベレスト登頂が商業化し、その最大の恩恵を受けるのがネパール政府(政府観光局や登山協会)であり、その関係者達が、自分たちの既得権を追い求めていることは明らかです。国全体で膨大な被害を受け、多数の死傷者がで、国全体が悲報にくれている時期に、外国の登山隊が、昨年にリベンジを兼ねて再挑戦に燃えているとの理由で継続可能を発表したことには、唖然とするしかありません。登頂へのルートは寸断され、設置したハシゴなどが破壊されたにも関わらず・・・そして、継続可能を発表して5日後には断念するという記事が掲載されました。
まだ本格的な雨季に入っていないので、各方面への主要道路には大きな問題はありません。しかし、今後雨季に入ると、地震で弱った地盤に大量の雨水が入り込むと二次災害で道路の決壊も起きうることでしょう。家屋倒壊で屋外で過ごさなければならない人々にとって、必要な物資を届けるのが最重要な課題です。
そんな中でオーストラリア在住の学生達のグループ(NGO)が大量の物資とともに現地入りしました。13人の青年達が政府の官僚主義的な対策に、今必要とされる場所へ品物を届ける作戦を実行しています。ちょうどネットカフェを営む友人に出かけたところ、そのメンバーが、政府の無策に不満を漏らしながらも、フェイスブックで最新の情報を投稿している所でした。実際に彼らはここ数日の間、車をチャーターして品物の分配に出かけました。道中検問所を通過するには、何らかの物資を提供しなければすんなりと通してもらえないとの事です。こうした状況を眺めると、物資の配給が正常に作動するわけがありません。食料援助で届いた日本米が市場で販売されるという国です。今集積されている支援物資も何らかの形で保留され、いずれは、市場に出回ることでしょう。
多額の義援金が届いているのですが、これも、様々な方法で凍結され、次回の選挙活動費用として充当されると見るのは、私だけではないでしょう。地震で多くのビルが被害を受け、不動産業界が倒産に陥ると銀行の破綻にもつながります。こうした部分に、義援金が注ぎ込まれる可能性は十分です。人々は何をしたら、どのような方法で支援を続ければ良いのか、状況がどうなっているのか把握するのに精一杯です。把握してもそれらが、事実かどうかの判定も定かではありません。

今日はタメルにある風の旅行者に出かけたのですが、タイミング良く社員全員が善意の寄付を募っていました。彼ら自身がポケットマネーを捻出して合計20,000ルピー以上が集まりました。この資金で米や砂糖そして食用油などを購入し、困っている47家族分に小分けしたものを配給するという事でした。早速私も、一員として参加です。皆がそれぞれ、必要な品物を求めて買い出しです。といっても、大量の物資になると、それを提供してくれるお店を探さなければなりません。雨除けのシートの確保もあちこち駈けずり回ってようやく20セットほど準備出来ました。砂糖は50キロの大袋で購入。ビスケットは18リットル缶入りで5個、塩や油、石鹸など必要と思われる品物を調達するにも時間がかかりました。他に善意で集まった衣類やビスケットなども加わりました。
紅茶の葉と砂糖とビスケットを47個分に小分けし、会社の車を使ってカトマンズを離れたのが午後3時半でした。被災者の住む地域はカトマンズから50キロほど東の幹線道路から30分ほど歩いた集落です。この集落の多くはバクタプルの煉瓦工場で仕事をすることで生計を立てている家族が殆どです。カースト制から眺めると、階級が低いとみなされる人々です。同じ農家でも階級が上であれば、自分たちの農地を持ち食料の確保も容易なのですが、こうした狭間に住む人々にとっては、現金収入が途絶えると、途端に生活が逼迫してきます。家が倒壊したから、食料がないから等様々な情報が入るのですが、ネパールの社会を別な見方からすると、こうした事情が個々の背景として複雑に入り組んできます。
そんなわけで、午後3時半に会社の車を利用して現地に入ることになりました。私も同乗です。片道1時間半程度と聞いています。到着したのは、ほぼ5時頃です。自分たちの住んでいる集落から駆けつけた人々が幹線道路で待ち構えていました。さて、物資の配給を始めるにも、現場ではリストが整っていません。家庭によっては、一家数人で押しかけるひともあれば、まだ来ていない人もいます。その地区のリーダーと支援隊との協議が始まりました。物資の数量に限りがあるので、統率のとれた方法でないと混乱するのは必至です。雨漏り対策のビニールシートは数に限りがあり、家族構成によって大小を区分して配給しなければなりません。事前にこうした情報がなかったので、急遽現場で家の代表を呼んで家族構成を聞きだした上での配給となりました。3人に一枚を想定していたのでうが、現場はかなりの混乱に見舞われたのはゆうまでもありません。
石鹸や、紅茶セットは事前に47家庭分準備してあったので、配給はスムーズに終わったのですが、衣類になると、もう混乱という状態しかありません。サイズや家庭の状況によって簡単に決めることは出来ません。そこへ、皆が我先にとどっと押しかける状態です。今回は規模が小さく47家庭に限っての配分ですが、これが大規模になると、同じ家族の人が何度も列にならぶという現象もおきていると聞きます。支援に来た我々も事前準備が不足だったことを痛感したわけです。いわゆる、配分の方法について、それぞれが、異なる意見を持っているので、収拾がつかなくなってしまいます。それをやりくりするには、かなりの経験が必要になります。
今回訪問した集落はカトマンズからも近く、すぐ近くにはお店が通常通り開店し、商取引が通常と変わることなく展開しています。一瞬、なんでこんな所に緊急食糧が必要なのだろうかと疑問にも感じます。事前の情報では、食べるものがなく、やせ細り、青白い顔をしている人々と想像したのですが、みんな大声でわめきあい、活気すら感じる状況です。そして、皆結構良い服装をしています。建物が壊れたとしても、何とか過ごせる状態なのかもしれません。これは、私達が実際に活動した最初の第一歩でした。しかし、これは貴重な体験にもつながります。どのような方法で支援していくかの参考になります。本当に困っている所とはどういった場所なのか!そして個人で支援出来る限界というのも感じます。どのように組織化し、効率良く運営していくのか第一歩が始まろうとしています。

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