2018年6月23日土曜日

カンボジア物語5 商売人のシンさん

シンさんのお店(FBより)

スマートフォーンの利用は世界各国で普及していますが、その便利さは、まさに革命的なものがあります。シンさんには旅の途中でもスマホは欠かすことが出来ない重要な道具です。ネパールでも空港に到着後、直ぐにSIMカードを入手しています。データ通信量は他のアジア諸国に比べると23倍高い設定ですが、彼にとっては、十分懐具合から行けば、無理な負担ではありません。さて、一体どのように利用しているのでしょうか?
よく観察してみると、フェイスブックチャットを利用して、プノンペンのお店のスタッフと会話しています。売上記録をカメラで撮影したものを見ながら、いろいろと指示を出しています。ネットの速度が遅い場合、即時通話に無理な場合があり、音が途切れたりすることが良くあります。しかし、この場合は録音機能を利用し、一旦メッセージを記録(ボイス・メッセージ)として保存したものを送信する方法を利用しています。日本など、ハイスピード通信が可能な世界では思いつかない手法です。この方法なら音が途切れたり、聞き取りにくかったりする等の難問を解決することが出来ます。
時々、カンボジア出国前に準備した売出し商品の画像を、売出し日に併せてフェイスブックのページに掲載したりする方法も身につけています。傍で見ている私もなるほどと感心、納得せざるを得ません。結構モダンなテクニックを身に付けているものです。
シンさんのお店のフェイスブックは
https://www.facebook.com/sinhmuy.mut.9

2018年6月22日金曜日

カンボジア物語4 シンさん3200mに挑戦

多分カンボジア人初のトレッカー

そんなわけで、当方はポカラに用事があったので、一緒に出かけることになりました。ネパールへ来て初めての長距離バスの旅でシンさんはワクワクしていました。道中立ち寄った昼食用のレストランは、カレー料理ばっかりで、本人の口に合いません。持参したビスケット類でお腹を騙し、無事ポカラに到着です。翌々日からはトレッキングの始まりです。トレッキングの設定は、ポカラで旅行代理店を営んでいる友人の助けを借りて、ガイド兼ポーターの手配をお願いし、比較的安い費用で34日のプーンヒルへのトレッキングを楽しむことが出来たようです。ポカラで二泊一緒に過ごし、到着した日と翌日はポカラ市街の案内、散策を共に楽しみました。観光の目玉地区レークサイド周辺に多く見受ける中級、高級レストランに気が取られる彼ですが、当方としては、高級レストランの食事が私の懐では無理なのを隠しながら、現地の人々の生活を知って貰いたいという理由づけで、通り過ぎ作戦を行いました。シンさんはうらめしそうに、「どうですかね。あの店、良さそうだよ。入りませんか?」としきりに進めていました。後日談ですが、トレッキングを終えた時は、私はポカラにはいません。一人で魚料理を注文して、食べたそうですが、不味くて、骨が多くて、値段が高くて、損しました」と素直に白状していました。
シンさんのトレッキングの道中は、私はカトマンズに戻っていました。しかし、時々フェイスブックのチャットが入って来ます。最近ネパールのトレッキング街道沿いは、WIFIが完備し、気軽に外部と連絡を取ることが容易になりました。そんなわけで、一喜一憂でいろいろな情報が入って来ました。時には、「ガイドさんに、お金はいつ払うの?」「今どこそこに到着したよ」「ガイドさんが道を間違ったみたい、どうしよう?」そんな質問も受け答えしなくてはなりません。初めてのトレッキングとしては、大成功だったようです。ポカラに戻り一泊してから、翌日は、ブッダの生誕地として知られるルンピニに向かったそうです。ルンピニからカトマンズへ三角形を描いたようなコースを取ることも出来たのですが、当時は、ルンピニからカトマンズの路線が道路工事中で時刻どおりにバスが発着するか、定かではありません。情報も不足し、無駄なように見えるのですが、ポカラからルンビニへの往復を利用することを推奨したわけです。まあ、28歳の若い青年ですから、体力は十分あります。ともかく駆け足旅行なるようですが、無事に仏跡旅行も終えて、カトマンズで再会することが出来ました。
今回の旅で、いろいろなアドバイス兼私流の人生談義を通してシンさんは沢山勉強したそうです。何度も感謝の言葉を受け取りました。

2018年6月21日木曜日

カンボジア物語3 シンさんカトマンズ到着

プノンペンの高層ビル

さて、準備が整い、今日はとうとうカトマンズ到着です。プノンペンから陸路でバンコクに向かい、バンコクからはタイ航空の便で午後12時半過ぎが到着予定です。私の方は、彼が到着してから、4日ほどお付き合いする予定を立てています。実際の滞在は10日程度にしていますが、当方はそれなりに他の用件があるので、カトマンズ市内の案内と説明に留めることになりました。お付き合いと言っても、一日中べったり案内出来るわけではありません。夕食を共にしながら、翌日の作戦を練るわけです。「ここから、この市内バスに乗れば〇〇まで安く移動出来ますよ」、「日常生活の物価はこの程度」「庶民の生活はこんな感じ」「町はほこりが多いからマスクが必要」などいろいろなエピソードが続きました。
さて、感心したのは、彼の人相はネパール人にも似ていますから、外国人料金を払うことなく、現地人の値段で入場したようです。勿論ネパール語は全くわかりません。英語よりも、日本語の方が上手です。しかし、ラッキーな青年です。通常外国人とわかれば、王宮広場への入場料は1000ルピー必要なのですが、彼には不要だったのです。
シンさんの苦手はカレー料理です。インド亜大陸と東南アジアでは、がらりと食生活が犯科してきます。かろうじて、ミャンマーはインド料理の影響が入り込み、カレーっぽい料理が提供されるのですが、国境を超えてタイに入ると、タイ風

2018年6月20日水曜日

カンボジア物語2 本当に来るの?

カンボジアのイメージ

さて、シンさんと別れて数ヶ月後、時々フェイスブックで挨拶を交わしている内に、ネパールの査証取得、航空券取得について質問が届きました。あれあれ、本当にネパールに来る気持ちで一杯なようです。私の知っている限り、オンラインでアドバイスを差し入れし、無事航空券とネパールの査証(E-Visa)の取得が完了しました。航空券の手配は、彼は既に、インドネシアやマレーシアなど海外の旅行をしていますから手慣れたものです。いつものようにAIR ASIAのサイトでカード決済です。これは、以外と簡単に完了します。
手こずるのが、ネパールの事前査証取得です。これを入手しておけば、入国審査で 待たされる時間を大幅に短縮することが出来ます。しかし、ネパールでの滞在先のハウス番号の記載が義務付けされるのですが、ネパールでは一般的にハウス番号を知っている人々は数少なく、滞在予定のホテルなどの表示にも記載されていません。また、インストラクション通りに作業を進めても、記載してあるように、メイルでの確約書が届かなかったり、システム上には、不具合が多く出ています。そんな中で、フィエスブックのメッセンジャーを利用して、彼がビザ申請のサイトを開き、次はこれを記載、その次は、これを書いてなど、オンラインの指南が続きました。無事作業を終えて、顔写真の入った査証をプリントアウトすることが出来ました。
さて、出発日時が近くなると、フェイスブックを通じて様々な質問が飛び出してきました。「エベレスト行きたいのだけど、大丈夫かな?」「何持っていったらいいですか」「カトマンズというのはどこにあるの?」などなど、その中には珍問も含まれていました。チャットをしながら丁寧に説明していくには、かなりの時間が必要です。毎日夕方になると30分から1時間かけて、ネパールの状況を説明する羽目になりました。さて、このチャットは大半
が日本語でなされていたのです。会話の中には、かなり高度の日本語も含まれています。感じもカタカナも混じっているわけですが、殆どの意味は理解できているようで、私は驚いてしまいました。日本語の会話経験も多くはありません。普段交際している日本人もいるわけではありません。一体、この人の頭の中はどうなっているものでしょうか?

2018年6月19日火曜日

カンボジア物語1 シンさんとの出合い

シンさんのフェイスブックのアイドルはピンクパンサー
シンさんはカンボジアの首都プノンペンで靴屋さんを営む青年です。彼との出合いは、2017年の1月にヤンゴンの空港で初めて対面したのが始まりです。格安航空会社のAIR ASIAでヤンゴンからバンコクへ向かう飛行機は同じ便でした。出国手続きを終えてトランジットエリアにある紀伊国屋書店に立ち寄った所、世界的に有名な旅行ガイドなるロンリープラネットの日本語版を熱心に立ち読みしていた東南アジア系の青年がいました。それで、声をかけたのが、思いもかけない展開になってしまったのです。
声をかけた後、じわじわと会話が進みます。旅行の話や、日常生活の事などが話題になり、次第に双方共に興味を持ち始め、私の実態が明るみになってくると、更に彼は、興味津々です。プノンペン大学で日本語を勉強していたそうで、たどたどしいのですが、かなりの日本語が通じます。性格も明るく、陽気で、何を語っても感心したように、受け答えしてくれます。最後には、私が3月にネパールに行く事を知ると、本人もその気になって、ネパールへ行きたいとの事です。その話は途中で打ち切りとなりましたが、フェイスブックでの交流を通じて、今後連絡を取り合うことになりました。搭乗時刻になり、機内での席は別々でしたが、プノンペンへ乗り継ぎをする彼とは、バンコクのトランジットエリアで再会の約束を交わし、私はタイへの入国手続きを済ませ、シンさんはプノンペンに向かいました。

2017年12月11日月曜日

スマトラ紀行(30) さようならインドネシア

メダンのショッピングモール
帰りのバスは、それほど長く感じることはありません。予定では12時半ごろ到着すると聞いていたのですが、慢性的な市内の渋滞に巻き込まれて2時半過ぎにメダンのALS専用のバスターミナルに到着です。それが、最近新しいターミナルが出来たようで、ゴーグルマップの地図では新設なるターミナルが表示されていません。ターミナルから我が目的地のゲストハウスへは、どうやって行けばよいものでしょう?色々な番号の乗り合いミニバンが走っています。表通りにでたものの、これでは、拉致があきません。切符販売所のお姉さんは親切に64番の乗り合いを利用してくださいと言うことで、一見落着です。再び表通りに出ると、即目的のバスが通りかかり、声を上げて(SUN PLAZA)と言えば、運転手は納得顔で、はいどうぞという暗黙の了解となりました。さて、ここで、MapsMeの活躍です。ネットの回線がなくても、地図は事前にダウンロードしてあるので、オフラインで利用出来るのが嬉しい所です。最近大都会では、どこでも一

2017年12月10日日曜日

スマトラ紀行(29)さようならブキッテンギ

パダンとメダンを結ぶ長距離バス
さて、サルマンの豪邸?に三泊お世話になってから、メダンに向けての夜行バスに乗り込みました。出発時刻は5時で、4時半までにバス乗り場に集合となっていました。予定よりも早く4時過ぎにバス乗り場に到着です。サルマンの店からはバイクで15分ほどで到着出来る距離です。お店に立ち寄って皆んなにご挨拶です。絵描きが得意なファーリ少年にも挨拶です。彼には200円(20,000ルピア)のお小遣いを渡しましたが、それが、ちょっとした問題を引き起こしました。母親が、ファーリに、「お金は預かっておくからねl」と取り上げられてしまいました。すかさずファーリは喚く、暴れるの一幕もありました。しかし数分もする間に、おとなしくなってしまいました。20円で袋菓子が買える金額ですから、小学一年生にとっては、全額をポケットに入れておくのはちょっとヤバイのも当然です。さて、今度会う時は、どのように成長しているものでしょうか?彼はいつも、学校から帰り、お祈りの時間になると、父親と連れ立って近くのモスクに礼拝に行く習慣をみにつけています。日曜は学校が休みですが、午後父のバイクで宗教学校の授業にも参加しているようで、回教徒独特の帽子を被り、なかなかさまになった光景でした。