2016年1月29日金曜日

バンコク光の祭典


今日も賑わっているバンコク市庁舎の前で毎晩繰り広げられるBangkok Light of Happinessは、ほぼ一か月ほど続きます。ここ数日非常に寒い日が続き、外套に身を包みながら寒々とした光景を目にしていました。寒いといえども雪がふるわけではないのでご安心!数々の競演を動画にまとめてみました。
さて、この祭典の費用はどのくらいでしょうか?聞くところによると400万バーツという答えでした。日本円に換算すると4120万円になります。一か月のイベントですから毎日330万円以上かかるわけです。うううん。この祭典に関しては裏で政治家が暗躍して実行にこぎつけたそうですが・・・・
微妙な心境です。外人観光客の数が7000万人に達する国ですから一人当たり1円没収しても7000万円集まる計算です。残念な事に、今回初めてのイベントは知名度が低く、場所もバンコク市庁舎前だったので、知る人のみ押しかけるという結果になりました。私も夕方の散策で偶然にこのイベントを知り日々通う事になりました。
勿論家族連れも多く、時間帯によっては、押すな押すなの盛況です。親にだっこされた3歳ぐらいの子供が私にぶつかりそうになりました。ふっと振り返ると、両手を合わせて合掌しています。ゴメンナサイね。という空気に、私の胸がぐっと熱くなりました。そんな微笑ましい光景をバックに後数日でこのイベントは終了です。来年も開催されることを期待します。

2016年1月27日水曜日

バンコクの花市場


ここ数日は日本が寒波に襲われているようですが、ここバンコクも例外ではありません。冬そのもので、朝晩は布団が恋しくなる日々を過ごしています。そんな中をうろうろ徘徊しているわけですが、通りかかった場所はバンコクの旅行者がたむろするカオサン通りから20分ほど南に位置する花市場です。ここは、夕方から活気が出るようで、まぶしいぐらいに電飾ランプに照らされた色とりどりの花が並んでいます。結構高い料金を払わないと見れない植物園とは大違いで、ここでは、無料で様々なラン、カーネーション、ジャスミンなどが満載される市場です。店舗を構えているお店もありますが、歩道に沿って花屋台がびっしりと並んでいるのは圧巻の一言です。以外と知られていないバンコクの穴場を見つけたわけです。南インドのチェンナイには、プーカダイ(意味は花屋)というバス乗り場があり、その周囲は花屋さんでごった返しています。インドの花屋さんというのは、

2016年1月24日日曜日

ジャパンEXPOバンコク



1月22日から24日までバンコクの中心部にあるデパートで日本フェスティバルが開催されました。時間があったので、立ち寄ってみましたが、いやはや、時代は変わったものです。EXPOと言えば、日本特有のもの造りを主体として展示ブースが並ぶのが従来形式と認識して出かけたものの、その変わり様に驚愕そのものでした。もう、モノの時代は完全に過去のものとなりつつあります。目につくのは、アニメやコスプレそしてAKB48を含めてのショーの連続です。日本食コーナーがあり、JTBの観光案内コーナーそして日本留学カウンセリングコーナーも賑わっています。おまけに「みちのくプロレス」も登場です。

2016年1月19日火曜日

開発と援助を考える

私が良く出かけるネパールは、最貧国として分類され今も様々な支援が国内外から寄せられています。過去数十年の間に膨大な金額が注がれているのは、周知の事実です。しかし、その進展は想定以上に長い道程を歩まなくてはならず、又その効果においても様々な疑問が生じています。こうした状況を踏まえて真の地域開発はどのように進むべきか、過去の事例を振り返って考察してみたと思います。
今でも続いていますが、通称箱ものを提供する支援団体は後を絶ちません。その典型として地方での学校の建設が挙げられます。果たしてこれらは成功しているのでしょうか?建物を建設する場合には多額の資金が必要となります。学校の不足で遠くから通学している児童が数多くいます。勉強したくでも経済的理由で学校へ通うことのできない人々も多くいます。村での学校の建設は地元の人々の願い叶え、希望と夢にあふれる地域社会に貢献しているという評価がなされます。しか

2016年1月18日月曜日

ミャンマー事情2015(付録)ダラーへの道

CIMG7130                CIMG7135喧騒なヤンゴン市内と対照的にひっそりとした佇まいを見せるが、対岸のダラーです。最近日本からの中古船がイラワジ川を一日に50便ほど運行しています。ヤンゴンの観光目玉となっているのは、シュウェダゴン、スーレーそしてカバーイェー等のパゴダが主体となっています。ヤンゴンの街並みは、私が40年ほど前に最初に訪問したバンコクの雰囲気に近いものがあります。多くの人々は、現地の普段着サロン(腰巻)姿で闊歩しています。市内バスは老巧化しても、まだ走り回り、その料金は⒑円から30円の範囲で運行されています。主要道路と言えども路面はがたがたで街のあちこちで立体交差の工事中だったりするので日曜日と満月の日を除いて渋滞が慢性化しています。

2015年12月18日金曜日

ミャンマー事情2015 (14) まとめ

12年ぶりに訪れたミャンマーは変化したようでもあり、まだまだ変わっていない部分も多く見受けました。高速道路はマンダレーとヤンゴンを結ぶ一本しか開通していませんが、これからが期待されます。通信網もスマホと格安SIMの普及で大きく変わろうとしています。タイとミャンマーの国境が解放されて、両国民にとっては、ビザなして2週間の滞在が許可されるようになって4か月経過しました。これは外国人も陸路での入国が可能になりました。ヤンゴン環状線も日本製の中古車両が頻繁に運行されるようになりました。レストランも旧態依然とした屋台からモダンなマックドナルトやKFCも加わるようになりました。何でもありの社会です。

2015年12月17日木曜日

ミャンマー事情2015 (13) 友人

ヤンゴンの街並み(2002年)

1980年代後半からミャンマーを何度も訪問しました。今でもその頃知り合った友人との交流が続いています。南インド系のミャンマー人と知り合ったのは1987年の事でした。今回13年ぶりに友を訪問した時に、友人はしっかりと覚えていたのです。「私が結婚したのは1985年です。その二年後にあなたにお会いしましたよ」となれば、今は2015年ですから28年もの歳月がたちました。
出会いの契機は、私がカトマンズからダッカを経由してヤンゴンに向かうバングラデッシュのダッカ空港でした。当時はミャンマーへ行く旅行者はそんなに多くはありません。しかし、ダッカからヤンゴンへの唯一の足としてバングラデッシュ国営空港が週3便ダッカとヤンゴンを結んでいたのです。搭乗券を手にして待合室で出発を待っていたのですが、時間を持て余してしまいます。隣の席に座っている人に何気なく声をかけてみると、これからヤンゴンに行くとタミル系インド人でした。当時、私も覚えたてのタミル語で、いろいろな雑談をしている間にあっという間に時間が過ぎました。別れ際に住所を交換し、ヤンゴン市内で落ち合ったのはゆうまでもありません。この方がカシムさんでした。このカシムさんを通じて知り合ったのが今もお付き合いをしているラーマンさんです。