ヒンズー、ウルドゥ、
ベンガリ語を学びながらのインド亜大陸なんでも考現学
リポーター紹介
干場 悟
Satoru Hoshiba
秋も深くなって仕事が一段落すると「
寒さ嫌いの彼はブラリと海外に出かけるのです。7カ月、
年によっては19カ月の放浪ですが、
これがまた徹底した貧乏旅行、だから欧米なんどには、
興味をもたない。そんな旅がもう10年以上続いているのです。
計算能力、記憶力に優れるが、語学の才能も豊かである。
ヒンズー語、シンハリ、ウルドゥ、ベンガリをはじめ、
インド亜大陸から東南アジア・アフリカの言葉を身に着け、
それをもとに現地人との交流を深めるという、
質素すぎる服装の民間大使というわけなのです。
独創的な考えと鋭い観察眼から、
独自の比較文明論を展開していく、旅のノウハウにも触れたり・・
・・。まあ、
インド亜大陸なんでも考現学といったリポートなのでありまする。
では見山・見山_____
この記録は1986年8月1日に発行されたものです。改めて編集された金子昌彦氏に感謝の意を表します。
スリ・ランカ
1984年12月8日 受信分
ビザ入手情報
1984年11月21日バンコクにて
待望のスリランカのビザを受け取りに行く日です。
結局は待たされて、待たされて、
少し偉い人の所へも回されました。
最初は一カ月のビザしか出せませんということでしたが、
少々得意とするシンハリ語を駆使しまして・・・・ もう後は詳しく理由を申す必要もなく、
秘書官が上司に話をつけてくれました。
小生の主張は「
ビザなしで一カ月滞在がOKというのは知っている。
だけど一カ月を過ぎてしますと、
一日30ドル分のバンクレシート(両替証明)が要るよ。
貴方の国でどうして一日30ドルかかるのかね?
私が友人の家に行ったら、食べるも寝るも全部ただですよ。
それは、使う時には使いますけどねぇ。英国籍(UK)
の人々は三カ月、半年ずぅーといれるのにさぁ」
秘書氏は、私の言い分を全部上司に語っていました。「
この人は2500ドル以上っもっているんだって。
前にもビザを取ってスリランカへ行っている人だよ。
何とかしてあげなくっちゃ・・・・。」
待たされたけど好印象で、
バッチリと三カ月の査証をいただきました。
昨日と今日と二度足を運んだ甲斐あり、
そして夕方バンコクのドンムアン空港へMr.
Tsujiを迎えに行きました。無事再会を楽しんでいます。
本当に良かった、良かった。
さて、これからはどのような旅が始まるものやら・・・・。
旅は道連れ、仲々と楽しくなりそうです。
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