2016年10月28日金曜日

多数派対少数派



多数派対少数派

以前と打って変わって、様々な事件が頻繁に起きています。今回のテロ事件は拡大する一方で、収まりそうにもありません。まさしく武力と武力の衝突といったところです。事情を私なりに分析すると・・・・
近年急速に展開されてきたゲリラ戦術もインディラ・ガンジー亡き後のインドの政治体制が絡んでいるようです。
インドとスリランカに住むタミル系住民は同じ民族で昔から強い絆で結ばれています。現職の南インドタミール・ナド州政府MGR(州政府の首相は元映画俳優でM.G ラーマ・チャンドランを略してMGRと呼ばれている)は穏健派として知られ話し合いで、この民族問題を解決しようという穏健派です。しかし、これに反感を持った人々を抑え込むことができず、新年の114日(タミール人の大祭)までに、大攻撃をしかけようという戦法になったようです。インドの総選挙を控えて、票獲得のために、反MGR派は大衆の目をスリランカにむけ、勝利を得ようとしたことが丸見えです。
もう一方、これに対するのはスリランカのジャヤワルディネ政権です。諸外国(現在は可也米国よりとなっています)との外交を巧みに渡り歩いて、タミル・タイガー(通称テロリスト)を完全な悪者としてレッテルを貼り、世界に、社会に認めさせようと必死です。しかし、こうした抑え込み戦法はいつまで続くものでしょうか?世界の政治の様々な争点を凝縮して考えさせる問題ともいえるでしょう。
シンガポールは、小さいながらもマレーシアから分離独立を果たしました。パレスチナとイスラエルは今も若いをしていません。もし現在のスリランカ政府が全土を抑えてしまうなら、スリランカ北部はいつまでも
火の粉がくすぶり続け、アジアのパレスチナになるのではないだろうか?米国は、北ベトナムのゲリラ戦法に完敗してしまいました。地中海にあるキプロスは国を二分したままで、政治の混乱が続いています。このスリランカを一つの国家としてまとめるにはマレーシアのような連邦制を持った複合他民族国家の例をとるべきではなかっただろうか!
しかし、時は既に遅しで機会を失ってしまいました。国全体が貧しければ、或るいは、豊であれば、こうもならなかったであろうに。今はその過渡期なのかもしれません。フィリピンのモロ回教徒解放戦線、カンボジアのクメール・ルージュそしてアイルランドのIRAなどと似たような経過をたどるのかもしれません。
背後に控えるインドの存在はその規模こそ異なるが、アフガニスタンの背後を操るソ連に似たものを感じるのは私だけだろうか?
さらに付け加えると1972年のバングラデッシュ独立戦争の例も引き出しておきたい。状況が当時とは異なっているので一概には言えないが、言語と宗教が異なる民族が共存する社会は極めて少ないといえよう。チベット難民60万人がインドに流れ込んだという史実を見落とすことはできません。事情は極めて複雑そして今後の成り行きは不透明なのです。

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