2016年5月30日月曜日

スルケ村(2)

さて、村に到着しました。バス停から歩いて20分ほどすると見慣れた学校が目に入ります。更に20分歩くとジャガットさんの自宅です。3年前同様家族が暖かく迎えてくれます。辺り一面はトウモロコシ畑で青々としています。小学校三年生だった甥っ子も大きくなりました。夕食は一緒にダルバットを食することになりましたが、彼の食欲旺盛にはびっくりします。私よりもまだ小柄ですが、ごはんは山盛りにしてお代わりをすることにためらいはありません。典型的なネパリスタイルです。この時期から彼らの生育は驚異的なものがあり、すくすくと身長が伸びていきます。夜になって、雲の流れの合間からお月さまが見え隠れしています。ちょっと長旅で疲れましたが、文明社会から離れた静寂が私の心を慰めてくれました。
説明を追加
翌日貧困家庭の支援活動の一環として身障者を抱えている家庭訪問が始まりました。12際の少年は、下半身は何もまとうことなく、藁でできたむしろの上に投げ出されたままです。12歳の少年は私達の顔をみるとにっこりと白い歯を見せて嬉しそうにしています。生まれた時から足が不自由で外の世界を知ることもなく育っています。その穢れのない純真な表情は天使のように映りました。彼の顔にはハエがたかっていますが、誰もそれを追い払う人はいません。本人も麻痺してしまったものか、追い払おうともしません。追い払っても執拗にまた寄るってきます。そんな彼の状態を見て、思わず近づいて手を握り閉めざるを得ません。母親とおじいさんそして、幼い子供達3人の家族です。日中は母親は仕事にでかけ、子供達は学校に通っています。おじいさんの手では、この少年の介護も思うままになりません。

とにかく、この家にはお米など生活必需品(食料)を届けることになりました。訪問したのが11時頃です。午後2時に歩いて20分ほどの学校の近くに品物を取りにくるようにと母親に念を押して次の家に向かいました。
約束の時間には遅れましたが、母親が近くの貧困家庭の老人と一緒に雑貨屋の前に姿を現しました。この老人というのも、老夫婦のみで生活している家庭です。息子や娘もいるのですが、音信普通の生活が続いています。お店で品物の配給の時には、その母親はお米30キロ入りの袋を二つ抱えて自宅に戻りました。老人の家とは20メートルほどしか離れていません。おじいちゃんも高齢で30キロ担ぐ体力はありません。それで、じいさんは食用油のパケットを二軒分もって自宅に向かいました。
さて、こうした支援は一時的なものにしかすぎません。後日カトマンズで出会った日本の方(金子さん)に、この話をしたら、簡易的な車いすを作ればどうかとアドバイスを受けました。住んでいる場所は山間部の傾斜地ですが、その少年の状況は家の中さえ徘徊していない状況です。金子さんは、建築関係の専門で、被災地でどのような建物を作ればよいのか、ひびの入った現在の住居で安全に暮らすにはどう対処すればよいか等に詳しい方です。彼の話では、簡素なものでも車いすを準備すれば、その少年の行動範囲はぐっと大きくなるでしょう。なるほど当然です。高級な日本製の車いすでなくても良いのです。自分達の工作教室でも確かなものが作れるはずです。来年出かける時は是非、この構想を実現したいものです。食料の配布よりも、その少年がより大きな光と希望を見出すことにつながるのではないでしょうか?h

0 件のコメント:

コメントを投稿