豊かさとは一体なんなのでしょうか?
両者(独立を求めてゲリラ活動を行うタミル系スリランカ人のグループと仏教系100%のシンハラ人グループ)とも、今まで過大なる犠牲者を生んで得たものは一体何でしょうか?
元来スリランカは、「私たちは貧しい国なのさ」とブラブラし、笑いながら過ごしてきた「インド洋の真珠の島」はふとしたことで急にお金持ちになりました。在る者は国外へ出稼ぎに、ある人々は今までの社会主義体制を180度転換した資本主義社会の恩恵を受けてビジネスの先鋭に、そしてある人々は観光関連産業へと傾き、人々の欲望はとどまることなく拡がり続けました。
あまりの急速な時代の流れに一般大衆も浮かれてしまい、近代化の波に飲み込まれてしまいました。気がついた時には、自分達の墓穴を掘っていたのでした。
どんなに工業化をしても、各種の新しいシステムが導入されても、人間の心の中に潜む人種間抗争は消すことが出来ず、その輪を広げていくばかりです。
国営テレビ局も盛んに「近代化」という政策の正当性のみを主張し、人々の心の奥に潜む本質的な面について考えようとしません。そのストーリーは新作の1985年の正月映画「GRIMLIS」にあるように、“You are not ready”というセリフに当てはまるようです。豊かさになり過ぎたスリランカ自身が、いろいろな意味で不幸を招いたのではないかというのが結論です。
それを考えると、タイは安定しておりますねぇ。改めてタイ国の貧しいながらの穏やかさというのをつくづく感じます。こういった問題を暇に任せて現場で分析してみるのは、まるでクイズを解いているようで、興味深々となります。
では皆さんお元気で。
1984年11月30日 Kandyにて
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