2015年4月22日水曜日

そして又スンダリジャルへ

さてさて、日本のNEDO(ネパール教育支援機構)の皆さんから励ましを受けて、その後のビジャイの様子が気になり、再度出かけることになりました。私から直接、ビジャイに皆さんの言葉を伝えんとする使命に燃えながら!!!!いつものように、カトマンズ中心地にあるバス停からスンダリジャル行きのバスに乗り込みます。この区間はわずか16キロしかないのですが、交通渋滞と道路整備の遅れが重なって所要時間は1時間半かかります。午後1時にプルナさん(NEDOのネパール代表)に会って色々と意見を交換し、駆け足でバス停に到着したのが、4時過ぎでした。カトマンズ市内からスンダリジャルジャルに向かうバスは早朝からあるのですが、夕方は4時半が最終便と聞いています。まあ何とかぎりぎりで間に合ったことになります。


こうして5時半にスンダリジャルに到着です。事前にスダンに用件を伝えていたので、今日も又スンダリジャルジャル泊まりになりました。スンダリジャルのバス停からまっしぐらにスダンの家に行きましたが、残念なことに、家は空っぽで誰もいません。そんなわけでスダンの兄弟が住む別の家の前を通り過ぎてビジャイの家に向かいました。タイミング良く、ビジャイの父が仕事から帰ってきたばかりです。お父さんに息子の行方を訪ねてみると、「多分どこかで遊んでいるのだろう、また家に戻っていないけど。私が探して来ようか!」との返答です。もうしばらくすれば家に帰るだろうと期待して、スダンの家に帰ろうとすると、二階から呼び声が聞こえます。スダンの義兄にあたるマヘッシュ(英国で三年間留学の経験のある元NEDOの奨学生)の声が聞こえます。ともかく、その家に立ち寄り早速おもてなしなるKHAJA(スナック)のご馳走にありつきました。マヘッシュも私の用件が何かを察して、早速ビジャイ捜索部隊の結成です。二人で村のあちこちを探したのですが、見つかりません。近所の人に聞いても、誰も姿を見かけた気配がありません。いやはや困ったものです。こうして日が暮れて7時になっても家に戻っていません。

周囲の事情から察すると、最近近所の悪ガキと親しくなったようで家には、あまり寄り付かないとの情報も入りました。一般的に、彼の属するタマン族は貧しく教育水準が低く、文化的にも遅れているグループだというのが通説となっています。前回出会った純朴な姿は一体何だったのでしょうか?私としては、もの凄く気がかりです。さて、待つこと数時間、マヘッシュの家で色々と話をしながら時が過ぎていきました。時々マヘッシュが隣に住むビジャイの家を探りに行くのですが、電気はついているのですが、家には人気が消えてしまっています。さて、私の方は夕食を頂いてから、再度訪問です。夜の9時近くになってようやく人の気配を感じるようになったのです。ちょうど、この時間にビジャイを除いて、家族が夕食の最中でした。そこへ私とマヘッシュが乗り込んだ次第。父の話では明日から学校に行く段取りが出来たとの話です。「しかし、最近友達の家にばかり出かけて、時々外泊しているんだよ。時々20ルピーとか30ルピーお腹がすくからと言って小遣いとりにくるんだけどさぁ。ビジャイは俺結婚するだよといってるけどなぁ。以前は寮にはいってしっかりと勉強していたみたいだけど、俺達も困っているんだよなぁ」そんな声が聞こえます。
どうも周囲の状況からすると、悪ガキグループに入って身動き取れないのかもしれません。こうして夜の9時を過ぎてもビジャイが帰宅した気配はありません。ビジャイの部屋は酒蔵を兼ねていましたが、ベッドが一台置かれ、部屋の中央に張られたロープにはいくつかの衣類が無造作にかかっています。本棚らしき棚には、教科書や辞書、ノートが積み重ねてあります。はたまた一体どうしたことでしょう!(酒蔵があるのは、タマン族は自家製のどぶろくを作る名人で殆どの家庭が自分たちでお酒を作っています。)部屋といっても掘立て小屋みたいなもので、隙間風がビュウビュウ入る簡素な作りです。
夜9時を過ぎてもまだ帰った気配がありません。やむなく、この日の捜索は中止です。さて翌朝になりました。マヘッシュがビジャイが帰っているのかどうか確かめに行ったのですが、まだ帰っていません。そんな状況では、私も手の施しようがありません。やむなく、今回はこれで一旦カトマンズに帰る決心をしたのです。しかし心の中は隙間風が一杯の帰宅でした。
カトマンズに到着したのが12時前です。その後、ビジャイの事はどうすることも出来ないのかなぁと諦めかけていた時、丁度4時前でした。ここで、私が何も出来ないということは、彼の人生が大きく変わってしまうことになります。しかし突然ビジャイのお父さんから電話が入りました。「ビジャイが話たいと言っているよ。」との事です。ちょっとした奇跡みたいなものです。ともかくビジャイにしっかりと勉強してほしい、昨日はどこ行っていたの、もうそんな事してはいけないよ」と応対し、「一生懸命勉強してください」と携帯メールを送りました。
しかし、このメイルはお父さんを経由しているので、本人の目にはいるのかどうか定かではありません。そんな杞憂も吹っ飛んで、2時間後には、私に「I will STUDY HARD」 一生懸命がんばります。とメッセージが入りました。こうして私の心のもやもやも一気に晴れていったのは間違いありません。
現地のNEDOの代表プルナさんとの共同作戦のベルがなり始めました。10代彼らにとっては、経済的な支援も必要なのでしょうが、それ以上に、こうした細やかな心のケアが学業の意思をより強固なものにしてくれるに違いありません。

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