2015年4月16日木曜日

カトゥンジェ再訪

さて、NEDOの元給費生をたどっての第二弾はカトンジェです。ここには、スンダリジャルのスダンの親戚にあたるスラージ・カスパル一家が住んでいます。以前彼の家を訪問して一泊した記憶があります。家族そろって大歓迎を受けました。今回はネパールの新年の日で、親戚が数多く集う中、皆に混じってお寺参りをしたり、ちょっと豪勢なおせち料理をご馳走になったりする日々でした。

ここはカトマンズ郊外で市内からバスで30分15キロほど離れた郊外の典型的なネワール人の村です。先日訪れたスンダリジャルのスダンの家と同様、4軒長屋の家は皆親戚です。ここスラージのおじいさんは昔香港で働いていたそうで、今も高齢ながら元気ハツラツとして日々を送っています。最近オーストラリアで仕事をしているスラージのオジサンを頼って、4ヶ月ほど旅行をしてきたとの事、その話を楽しそうに語ってくれました。以前訪問した時に驚いたのは、トイレが全く別棟で懐中電灯で敷地内の畑の中を20mほど歩いて用を足す羽目になりました。今回は、建物の外といっても、入り口のすぐ側に増設されていたので、大助かりです。

家の作りはシンプルですが、キッチンは一階にあり、何とテーブルと椅子の席も準備されていました。一般的には、ネパールでは、床に茣蓙を引いて直接座って食事を取るのが習慣です。そして、時代の並といえるのでしょう、プロパンガスも引いてあり、手を洗う蛇口もついています。三階建ての家屋は二階と三階にはそれぞれ3つの寝室があり、2世帯同居(おじいちゃん、おばちゃん、そして両親と子供たち3人)で合計7人が住むには十分な部屋があります。三階の部屋には最新式の液晶テレビが入ったばかりで、まだプラスチックの袋が被ったままで、テレビを見る時だけ、そのカバーを外します。一階にはおじいちゃん専用の電動バイクそして、お父さんが使う普通のバイクがあります。おまけとして、子犬が4匹と彼らの親が二匹というのが、このスラージの家の戸籍調査です。

スラージの姉は今はブッダエアーでスチュワーデスとして働いている美貌なるお姉さんです。もう一人の姉はアヌ・ベーカリーという食堂で仕事をしています。このベーカリーは10年ほど前から始めたようで、結構評判の良い店として名が知られています。幼い頃のスーラジはいつも二人の気丈夫な姉達にいじめられて、泣きべそをかいていたのですが、最近は年齢を重ね、少しはたくましくなりました。家の躾も結構厳しいと見え、外出は夜の8時までと制限されているそうで、しっかりと守っています。「25歳ぐらいになったら、時間を気にせずに自由にするんだから」と真面目な一面も覗かせる好青年です。今は近くのIT関連の学校に通い、丁度最終学年の試験前の休みに入っているとの事です。Sonyのスマートフォンを抱えてかなり裕福な生活を続けています。いつも小奇麗な身なりをした好青年です。将来はネパールではなく、おじの住んでいるオーストラリアの学校に入って働くことを夢見ています。しかし、彼の家庭環境から察するならば、実現不可能ではありません。

今日は新年なので、親戚の子供達も泊まりがけで遊びにきています。その中で小学校4年生のスーザンは見事に英語を話ます。若さゆえの利発な子とみえ、しゃきしゃきと私に色々と話しかけてきます。初対面にも関わらず、恥ずかしがることもなく、お茶目な少年です。私が新年のお寺参りの時にスマホでビデオを撮影していた時には、機転を利かせて、寺院の説明をしゃあしゃあと英語で語る小さなガイドさんの役をしてくれました。子供たちが日常会話に英語を自由にあやつるとい体験は私のどこかに残っています。探し当てたのが数十年も前のスリランカだったように思います。全ての家庭というわけではありませんが、特定の家庭では家の中でも英語日常会話になっていました。当然の事として学校での授業は英語を介して行われています。以前、スリランカは外国への出稼ぎが多い時代でした。こうした環境でならば、英語が堪能な人材が多く排出された事実とも合致します。こうしたバックグラウンドを眺めるとネパールのそれは、何十年も遅れてしまったといえるでしょう。

スーラジの家についたのがお昼まえです。実は前日の夜は別の友人HIRAさんの招待でバクタプール郊外の村に一泊したばかりです。夜が更けて7時半ごろカトマンズの中心街、タメルからバイクで突っ走しること、およそ一時間、ヒラの家に到着です。ここでも村の生活をしっかりと堪能することが出来ました。新年なるものですから、今日は皆着飾って朝から終日お寺参りです。ここスラージの家では夕方出発です。日没をめがけて燭台に火が灯ると、その光景は圧巻です。家族皆に混じって私も参加させてもらいました。

そんな楽しい家族と一時を共にする反面、他の家族との差異が浮き彫りになって来ます。スンダリジャル再訪の記事にあるビジャイの家族とは対照的です。その家族にとって、毎月支給される700ルピー(900円)の奨学金は、その機能を十分果たしていることでしょう。お金持ちの家族は携帯電話などをふんだんに利用することが出来ます。必要な教材も十分といって良いほど与えられています。日本でも教育問題が高まっていますが、こうして、現地の実情に直接触れると、大きな混乱に目を奪われてしまいます。そして、又家族の教育に対する認識も、家庭によって大きく異なります。一般的に言えることは、外国と関連を持っている家族は極めて優位な立場に置かれいるのが実情です。何らかの形で親戚が国外に移住しているケースが一番恵まれているといえるでしょう。カトマンズ郊外でも、こうしたよう貧富の格差の拡大が見られます。

エベレスト街道に沿っては、大量の援助金が流れ込み、潤っているのですが、一歩その谷を外れると、開発の遅れた地域が今も多く存在しているという事実に向き合わなければなりません。単に学校をつくり、学用品を配布したにしても、その地域全体の教育に対する取り組みが変わらない限り、支援が正常に機能するはずがありません。近年はどのような小さな村からも出稼ぎに出かける人々が増え、次第に世界は狭くなっています。教育の大切さは、今国外に出かけた庶民層が海外の事情を肌で感じるに連れ次第に高まっています。両親が英語を理解できないのにも関わらず、その子供たちが英語で授業がなされる私立の学校への入学を希望しているケースも多く見受けます。勿論、出稼ぎでより多くの収入を得ようとするには、英語が必須というのは、承知の事実です。その国の教育政策によって将来の姿は大きく変わっていくのも事実です。地域格差そして、地域においての貧富の格差また、ビジネスと化した教育機関など、様々な問題を抱えています。このようにして、ネパールの現在は、今までに例を見たことのない急激な変化に見舞われています。将来、どのような方向に進むものでしょうか?

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