2016年10月31日月曜日

出パキスタン記

出パキスタン記
この話はパキスタンのカラチからコロンボへ向かった時の物語です。
どうもカラチ空港で見るスリランカ人は穏やかさに欠けています。眼つきがインド人以上に険悪さを漂わせています。パキスタン人が穏やかに見えてなりません。特に北方のアフガン系の人はすごくおとなしく見えます。
12月21日夕方カラチを出発。パキスタンのミニバスもこれで乗り納めであります。夕食を安くて良心的なカンテーン(簡易食堂)で済ませ、残ったお金で煙草を七箱を求めました。それでも残ったお金で切手と航空書簡を購入しました。暇そうな空港内の郵便局の窓口で延々と60分、お茶を頂いたり、おしゃべりをしたり楽しむことが出来ました。我としてもあきれましたなぁ。
局内のカウンターの中に入れてもらって、お茶とお菓子のもてなしを受けるのは初めてです。空港職員やスチュワーデス、その他色々な人々がやってくるのに、平気で座って話をしていたのです。
待合室には怪しげなスリランカ人の団体が20人程いました。彼らとも少しばかり話をしまして、まあ退屈することなく時間が過ぎました。免税店に出かけてもすごく友好的な感じで愛想が良いのです。チェック・インは第一番となりました。チェック・インを終えてトイレに出かけたら、トイレの番人が手拭きをくれました。当方ぼそぼそと、
「もうお金はないんだよ。俺ハンカチもっているから」と現地語で言うと、
「まあ、いいから使えよ」
というので、好意に甘えて使わせて戴きました。最後にキチンとトイレの番人と固く握手を交わして用を終えました。まあこうなると一種の儀式めいたものになるのです。そんな楽しい風変りなパキスタンの旅も終えようとしています。全く別な社会を訪れたともいえるようで、大陸的でおおらかで、男らしい世界がパキスタンかもしれません。バスの車内で切符を売る兄ちゃん達の節太の手が記憶に残ります。そうすると、スリランカはどうもアラビア社会と比較するに女々しくも思うのです。
私の次にチェック・インした商社マン風日本ジは、ツーンとしていらっしゃいました。いつも日本の小説を読んでいらっしゃる。そんな人を見ると当方は何となくヒケ目を感じ、ああ別なるタイプの人々だなぁーと思うのです。これも記憶に残っています。

この国では男女別学が当然で、地元の人々は、これについて全く不審に思わないようです。だけど、雑誌の記事には、「男女共学こそ必要」という論調がありました。英語を話す人と話さない人の間には、こうも考え方の相違があるものかと驚いています。
カラチの夜景も綺麗でした。いろんな旅行者が混じる国際空港です。といえども、ローカルな部分も残っています。モルジブの人、スリランカ人、パキスタン人そしてヨーロッパ人に交じって日本人。久しぶりに見るスリランカ美人は爽やかさを漂わせとてもキレイに見えました。それもそうです。ギリシャは別として、トルコ、エジプト、パキスタン、バングラデッシュと男ばかりの社会にこうも長くいると、とても光って見えるのです。感激そのものです。
旅はゆっくり、のんびりと。それでも、ここ最近ちょっと忙しいのです。同じ深夜のフライトでも、やはりスリランカの飛行機はエジプト・エアーに比べると格段に良いと思います。ジュース・コーヒー・ブランデーのお代わりは気軽に頼めるし、食事も「上」と「並」の差がありました。エアー・ランカに感謝感謝。

2016年10月30日日曜日

太陽の国(雑感)



太陽の国(雑感)

太陽の国スリランカ、のんびりずむの島国。長く滞在すると一つの大発見。それはダラシナイズム蔓延の人々。どうも、シンハラ族の目玉はギョロリと大きく丸っこい。白い歯をむき出しにして、ニタニタウハウハ笑って騒ぎ立てる。そんな陽気さを、天性的に持ち合わせている。
他方、インドから移住したとわれるタミル人は険悪そうな細い目をしている。見かけはちょっとニヒルだか、誰かれかまわずウィンクして見せる。話をすると以外と愛想も良い。一緒にお茶を飲んで、サヨウナラをする。
物を乞うのは乞食の仕事だか、スリランカでは誰もかれも試みているようだ。何とまあ厚かましい。何かをゲットできれば儲けもの!
しかし、彼らは無断で人のものを盗ることはない。また取ることもしない。我の私物を一般公開した場合は、ハイコレ、ハイコレというふうに丁寧に後片付けを手伝って、さも「私は品物をちゃんと返しましたよ」という手つき、動作が伴ってきます。なるほど当然のことなのだが・・・。

2016年10月29日土曜日

豊かさとは一体なんなのでしょうか?



豊かさとは一体なんなのでしょうか?

両者(独立を求めてゲリラ活動を行うタミル系スリランカ人のグループと仏教系100%のシンハラ人グループ)とも、今まで過大なる犠牲者を生んで得たものは一体何でしょうか?
元来スリランカは、「私たちは貧しい国なのさ」とブラブラし、笑いながら過ごしてきた「インド洋の真珠の島」はふとしたことで急にお金持ちになりました。在る者は国外へ出稼ぎに、ある人々は今までの社会主義体制を180度転換した資本主義社会の恩恵を受けてビジネスの先鋭に、そしてある人々は観光関連産業へと傾き、人々の欲望はとどまることなく拡がり続けました。
あまりの急速な時代の流れに一般大衆も浮かれてしまい、近代化の波に飲み込まれてしまいました。気がついた時には、自分達の墓穴を掘っていたのでした。
どんなに工業化をしても、各種の新しいシステムが導入されても、人間の心の中に潜む人種間抗争は消すことが出来ず、その輪を広げていくばかりです。

2016年10月28日金曜日

多数派対少数派



多数派対少数派

以前と打って変わって、様々な事件が頻繁に起きています。今回のテロ事件は拡大する一方で、収まりそうにもありません。まさしく武力と武力の衝突といったところです。事情を私なりに分析すると・・・・
近年急速に展開されてきたゲリラ戦術もインディラ・ガンジー亡き後のインドの政治体制が絡んでいるようです。
インドとスリランカに住むタミル系住民は同じ民族で昔から強い絆で結ばれています。現職の南インドタミール・ナド州政府MGR(州政府の首相は元映画俳優でM.G ラーマ・チャンドランを略してMGRと呼ばれている)は穏健派として知られ話し合いで、この民族問題を解決しようという穏健派です。しかし、これに反感を持った人々を抑え込むことができず、新年の114日(タミール人の大祭)までに、大攻撃をしかけようという戦法になったようです。インドの総選挙を控えて、票獲得のために、反MGR派は大衆の目をスリランカにむけ、勝利を得ようとしたことが丸見えです。
もう一方、これに対するのはスリランカのジャヤワルディネ政権です。諸外国(現在は可也米国よりとなっています)との外交を巧みに渡り歩いて、タミル・タイガー(通称テロリスト)を完全な悪者としてレッテルを貼り、世界に、社会に認めさせようと必死です。しかし、こうした抑え込み戦法はいつまで続くものでしょうか?世界の政治の様々な争点を凝縮して考えさせる問題ともいえるでしょう。
シンガポールは、小さいながらもマレーシアから分離独立を果たしました。パレスチナとイスラエルは今も若いをしていません。もし現在のスリランカ政府が全土を抑えてしまうなら、スリランカ北部はいつまでも

2016年10月27日木曜日

ガイド・葬式・ローソク・ブラブラ


ガイド

カンディの地図
カンディの悪質なるガイドの一人と雨宿りの為休んでいた時の話。彼の話によると、先日ガンジャ(大麻)売買の現行犯で妻と一緒に逮捕され、一人2000ルピーの罰金を科せられたそうな。二人なので合計4000ルピー。その書類を見せてくれました。おまけに銀行の預金通帳を見せて、「これだけしかない(47ルピー)」てなことで、お茶をご馳走してほしいんだが、」と言いよってきました。
「お茶を飲むよりも、こうして話し相手が見つかったんだから、お互いを知り合うことが、お茶をおごることよりも、もっと偉大なGIFT(おもてなし)なのさ」とごまかしました。
翌日我がランカの友人とDevonなる中級レストランでTeaを飲もうと入ったら、例のガイドがちゃっかりと洋風スープなどをすすっているではないですか!にやりとお互いに相手を見合わせた次第。

葬式

私が居候しているMunasinge家の奥さんの母親が、先日亡くなりました。孫のAjithの話を総合すると、以下のようです。死後すぐに、彼女の目は医師の手によって取り去られました。その他に、彼女の遺言によれば、3日間は死体を家に置くようにと。勿論亡骸の内臓は全部取り出され、綿を詰め込まれ(専門の人が必要)ました。それから3日後にはあっという間(45分間)で焼かれ、先祖代々のお墓に灰が埋められた。

2016年10月26日水曜日

美女との会話




スリランカルピー2ルピー
その間、様々な人間模様を眺めることもできました。二人のパキスタンからの紳士達は密輸関係の仕事で友人を迎えに来ていました。およそ10人ほどの南ンンドからの旅行団は、深夜に到着。翌日の12時半のエアー・ランカで故郷に帰るのに時間待ち。彼らは明け方コロンボ市内の見学にでかけたようです。空港内の警備員の一人は出身がスリランカ中部のカンディ出身で、私の常宿ムナシンハ家(Munashinge Family)から10軒隣に、彼の息子が住んでいたりして・・・。その他に自称 CIDCentral Investigation Department)と申すもの。ともかく飽きることなく人生模様を観察するには絶好の場所です。深夜にも拘らず全然眠くならず、我ながら興奮のスリランカ第一夜でした。

2016年10月24日月曜日

インド亜大陸放浪記 No.1 スリランカ 02



コロンボ空港

タイのバンコクを午後10時に出発した便は深夜にスリランカの首都コロンボ・カトナヤケ空港に到着です。今夜も色々な人々に出逢う日となりそうです。と共に、私の内部は、様々な言葉がミックスしてしまいました。さていろいろと紹介しましょう。まずはインドからボンベイ出身のレディ Miss Bella Mathuss. 彼女はこの便の始発香港から乗り込みました。私たちは経由地のバンコクから乗機でした。
入国管理事務所(イミグレーション)のカウンターで、彼女とチラリと会話をしました。香港で13カ月仕事をしていたという彼女は、その浅黒い顔つきを除いてインドを感じさせません。皮製のピッタリとくるジーンズを装った勇猛さを、そして女としての艶っぽさを兼ね合わせた彼女とは再び待合室で会話が始まりました。まずは、彼女が
Are you going outside and get accommodation?
No, We are staying here until morning. Then catch the bus for the downtown. And you?
という事から始まり、結局夜の1時半から明け方の6時半ごろまでペチャクチャ語り合った次第です。
元来、彼女は翌日のスリランカ航空(Air Lanka)でボンベイに向かうのだから24時間以内のトランジット(通過客)になるはずです。元来、こうした通過客に対してほとんどの航空会社は付加サービスとして食事や宿の手配をするのが原則なのですが・・・。UL(エアー・ランカ)はその点をルーズにしているようで、他人事ながらちょっと悔しいのです。

2016年10月23日日曜日

インド亜大陸放浪記 No.1 スリランカ 01


ヒンズー、ウルドゥ、ベンガリ語を学びながらのインド亜大陸なんでも考現学

リポーター紹介
干場 悟
Satoru Hoshiba
秋も深くなって仕事が一段落すると「寒さ嫌いの彼はブラリと海外に出かけるのです。7カ月、年によっては19カ月の放浪ですが、これがまた徹底した貧乏旅行、だから欧米なんどには、興味をもたない。そんな旅がもう10年以上続いているのです。
計算能力、記憶力に優れるが、語学の才能も豊かである。ヒンズー語、シンハリ、ウルドゥ、ベンガリをはじめ、インド亜大陸から東南アジア・アフリカの言葉を身に着け、それをもとに現地人との交流を深めるという、質素すぎる服装の民間大使というわけなのです。
独創的な考えと鋭い観察眼から、独自の比較文明論を展開していく、旅のノウハウにも触れたり・・・・。まあ、インド亜大陸なんでも考現学といったリポートなのでありまする。
では見山・見山_____