以前から考えていた事があります。経済は何故いつも上向きでなければならないのでしょうか?もし、少しでも下降線をたどる方向になると、大騒ぎをしてしまいます。これを、学業の通知簿に置き換えて考えてみましょう。昔は、成績が少々下がっても誰も驚くこともなく、大騒ぎもしませんでした。最近はどうなっているかわかりませんが・・・。こと経済となると、数%或いは、0.0X%の下降でも、危機感を持って報じられていく時代です。概して、統計で物事を判断しようとすことに無理があるはずです。商品の売上高の推移は、単に金額を追いかけているだけです。その数値を見た結果的に人々の心理がこうだから、こうなったと付け加えて分析がなされています。この人間の心理は時と場合によっては、魔物同然自在に変化するでしょう。その結果予測が外れるのも止むを得ません。
最近はエコブームとかで、何かと新しい製品の購買意欲をそそる宣伝がやたらと増えています。最新流行のエコカーが本当に環境に優しい品物になっているのでしょうか?単にリッター当たりの走行距離が多いからエコだと言い切るのには、難点があります。購入した側では、エコカーを得たことで満足感に浸っていることでしょう。しかし、エコカーでガソリンの消費量が少ない事を理由についあちこち出かけたくもなります。いつもは20キロ範囲内で買物していたのが、40キロ先まで行ってもガソリン価格は同じだから出かけてみようとなれば、決して環境問題の見地からすれば、好ましいことでは有りません。
発想を変えていうならば、一台の車にぎゅう詰めになって移動するのがはるかに環境に優しいと言えるでしょう。今でも、インドネシアの地方路線を走るバス、ミャンマーの田舎を走るトラックバスなどは、満席になったのが出発時刻になっています。この方が遥かに環境に優しいライフスタイルと思いませんか?
私の住んでいる立山は富山から30キロ離れています。およそ一時間毎に電車が発着します。しかし、路線の半分を過ぎたあたりから、乗客は激減します。終点近くになると、運転手のみが乗っている状況になります。これで、電車を経営する会社は、電車は環境に優しい乗り物です。CO2 の排出量は自家用車の9分の1とか宣伝しまくっています。最後の10キロ区間はわずか二人の乗客でも、環境に優しいのでしょうか?どうも眉唾ものですが。まあ、平均した乗客キロ数とかで弾くと、なるほどとも言えるのですが。
電気を節約しようと、電気器具を管理する装置が売れているようですが、これで、本当のエコができるのでしょうか?極端に言うと、私達の生活自身をもっと身軽に、簡素なものにするのがエコえの近道なのですが、それは見落とされてしまいます。
経済的に金繰りが豊かになればなるほど、こうした矛盾が大きくなるのは当然の結果でしょう。ミャンマーの西に位置するラカイン州を訪問したことがあります。この辺りの住まいはものすごく簡素です。いやミャンマー全体がそうなのかもしれません。家具らしいものが殆ど見当たらない竹づくりの家です。屋根も、床も柱も総竹づくりの家でした。こんな簡素な建物でも人がいて、子供がいて、平和な生活が営まれているわけです。ネパールの山奥にも、これと似たような家をよく見かけます。まあ、ネパールでは、寒さがあるので、石づくりだったりするんですが。
政府を一家に例えてみましょう。今の日本の状況は借金を抱えながらの自転車操業をしているかのようです。全部後払いで国債という紙切れを発行して手元にお金を用意します。そのお金で道路をつくったり、新幹線を作ったりしているのでしょう。それらが、厳密に採算が取れるのかどうかの計算はさじ加減一つで自由に操っているようです。新幹線が開通すれば、その経済効果は計り知れないものがあるというのは、本当でしょうかね。原発が安い電気を生み出してくれるというのと似ているかもしれません。本当に原発は安いのか、その計算の仕方によって大きく異なることがはっきりと分かりました。無駄をすることによって経済が活気溢れるとも言える現代です。でも、経済だけが肥満していずれは、病気になるんでしょう。いやもう発症したかもしれません。
しかし、所得水準があがると、矢張り消費しなければ意味がないようです。それで、どんどんモノが増えて、そのモノを処分するにも費用がかかり、その為にまた働かなくてはならなくなりました。それで、働きすぎると病気になる。それが問題だから、保険にはいる。こうして一見安定しているかのように見える私達の生活も、見方を変えると砂上の楼閣かもしれません。このバランスをどのようにしていくかが難しい所でしょう。こうして考えると経済活動を支えるのは、私たちの欲望と合致していることが良くわかります。果たして本当の豊かさはどこにあるのでしょうか?