2016年5月19日木曜日

パタレ村

カトマンズから北西に95キロほど離れた村が、ここパタレ村です。今回はネパールで旅行代理店を経営している友人と、この典型的なネパールの山村を訪問する機会を得ることができました。昨年のネパール大地震の震源地にも近く、今も生々しい被災の爪痕を残しながら、人々は伝統的な暮らしを営んでいます。日本語堪能なる友人と地元のリーダーそして私(ネパール行ったり来たりの40年。不審人物?)の三人は、カトマンズを朝9時のバスで、現地に向かいました。カトマンズから85キロ離れた、この地域の中心地ダディンベシへは、3時間半のローカルバスの旅です。と言っても、この方面へ向かうバスは、始発は定刻通りにスタートしましたが、途中集客業務に忙しく、あちこち停車しながらの出発です。更に運が悪く、途中でタイヤがパンクで30分ほど、タイヤ交換でどんどん時間が追加されていきした。最終的には、予定を1時間以上遅れて午後1時半ごろ到着です。
ここ、ダディンベシからは午後3時頃パタレ村方面に向かうローカルバスが走っています。バスと言えども、超ポンコツで車体は30年以上経過していることでしょう。我々は、現地の友人の紹介でトラックの前に席を確保することができました。

トラックといっても、この中型トラックは、村と町を結ぶ重要な運送機関です。様々な食料や雑貨そして、今回の注目品は小型トラクターの積み込みも引き受けています。1時出発の予定は3時に変更になり。荷台には10人ほどの乗客も同乗する、貨客混載トラックと化しました。さて、街を離れると極端は悪路の連続です。運転手は慣れた道路を器用に操作しながら進行します。急カーブの連続なれど、運転手は携帯電話で時々連絡を取りながらの物騒な運転です。勿論舗装してあるわけでもなく、でこぼこだらけの道ですから、歩く速度とほとんど変わりません。9キロの道を2時間かけての想像を絶するオフロードの連続でした。危険な運転と判断されそうですが、この運転手は、この区間を毎日往復していますから、どこに石ころがあり、どこが難所か、目をつぶっていてもわかるのでしょう。こうした事は、この村への道路だけではありません。中核都市(ダデェンベシ)までは舗装された道路ですが、それから先はどの村へいくにしても、がたがた道をあえぐようにしてトラックやバスが上っていくのは、ここネパールの典型的な光景です。こうして、3時過ぎに出発したトラックは、途中でパンクをし、タイや交換で20分の作業。ようやく、目的地パタレ村についたのは、午後5時半でした。

経路については、以下の アドレスをクリックすると地図表示に切り替わります。
http://adventures.garmin.com/en-US/by/hoshiba/ktm-to-patale/



当初の予定は、午後三時ごろに到着すれば、当日夕方と翌日早朝の9時頃までの二度にわたって現地視察の役目が終えると算段していたのですが、夕方遅く到着したからには、何もすることができません。とりあえず、友人宅にお世話になることになりました。
友人宅も昨年の震災の爪痕を深く刻んだままで、がれきが家の周りに散乱しています。そんな中で仮テントが三棟設置され、我々の宿舎となりました。わずか数件の家が新築の様相を示しています。この地域では100軒ほどの世帯中8割以上の建物が崩壊し、今は板やトタンで囲った簡素な仮小屋住まいをしています。現状の所得水準から考えると、元への復帰は程遠い感じです。何しろ、今まで何十年もかかって富を積み重ねで家を、家財道具を準備したのが、一気に崩壊したわけです。原状復帰といっても、それに見合う収入はすぐに見つかりません。震災当時は、各方面からの支援が届きましたが、それらは今はもう、期待することができません。この村は格別な産物を産出する事もなく、大半の村がそうであるように、農業を主体とした自給自足の村です。家畜は生活に密着し、放し飼いの鶏は、客の訪問や催事の時に、待ってましたとばかり、いけにえにされて、私達の食前を賑やかにしてくれます。牝牛からは貴重な栄養源なる牛乳を確保することができます。雄牛は畑を耕す大切な労働を担ってくれます。ヤギは成長するにつれ、売り出すことで貴重な現金収入を確保することができます。多くの家は犬を飼っていますが、これはしっかりと番犬の役割をはたしています。人里離れた場所では、トラが出没するそうですが、人家の周囲には近づかないとの事、しかし、将来は生態の変化で、集落への出没もないとは限りません。

こうして、地元の友人と村の現状そして将来の事に関して、様々な議論に花が咲きました。ここ、ネパールの村も日本同様で人口の流出、高齢化に悩んでいます。なるほど、この村ではやけに老人が目に入ります。ネパールの多くの村では若い青年達は都会や国外に出かけて仕事をしているケースを多く見受けます。ここも例外ではありません。
しかし、そうした中で、この村の青年団も頑張っているようで、伝統的な楽団の結成で仕事の合間を見ながら練習に励んでいます。村の丘にある寺院(ゴンパ)の隣に文化ホールの開設を夢見ています。今は整地作業が終わりったばかりで、まだまだ実現には時間がかかるでしょう。又、ちょっと離れた場所には山の中腹を削ったサッカー場建設を予定した広大な空き地を見ることができます。

さて、丘の上にはパタレの学校がありますが、昨年の地震で大きな被害を受け、いまだに仮の校舎で授業が行われています。全く簡素な建物で、トタン板で、壁のないオープン過ぎる校舎です。しかし、生徒たちは、そうした事を気にするわけでもなく、笑顔をみせながら勉学に励んでいます。この学校は同一敷地内に幼稚園から高校まで含めた統合された学校です。今は韓国や日本そしてシンガポール等からの支援で新しい校舎の再建が進んでいます。20台ほどあるパソコンは昨年の地震以来、建物不足で稼働させることも出来ず、今は休眠中です。
確かに、この村では人と自然が一体となった伝統的な営みを今も感じることができます。こうした農村部では、インターネットが普及した都会とは大きくかけ離れた生活を余儀なくされます。平和そのものの生活が残っている反面、現代社会との格差、ネット社会が生み出す貧富の差の、拡大を痛切に感じざるを得ません。そうした中で、村の有志達はより良い村の建設を真剣に模索し、そして行動している様子をありありと感じることができました。テント生活の第一夜は快適に過ごすことができました。月明りが私達の心の灯をも照らしてくれました。

翌日9時に現地を出発してカトマンズに帰る予定は、大幅に変更となり、翌々日帰ることになりました。24時間滞在時間が増えましたが、地元の人々との話は、彼らの多くが農作業に忙しいので、朝と夕方しか時間が取れません。日中は村の写真撮影やゴンパ(寺院)、学校訪問などで時間が過ぎていきました。10時頃ちょっと休憩の時間にテントに入りましたが、テントの中は蒸し風呂状態です。いやはや、このテントで生活を余儀なくされた人々の辛さを改めて体験することもできました。もう、それは、サウナ状態というしかありません。

地元の人々の生活を探っていくと、意外とこの地域では再婚や複数の奥さんを持つことには何も異論はないようで、中年以上の男性で妻帯が一人というのは、稀なケースになっています。以外と性風俗のオープンさを感じます。しかし、それなりに理由もあるようです。多くのケースは妻が病気でなくなったり、母子共に死産するケースも特別ではありません。こうした理由で、再婚が目立ちます。乳幼児の生存率で女の子がはるかに高いのは良く知られています。こうなると、男女の構成比が1対1から離れてしまいます。自然の摂理同様、人間社会においても何ら違和感もなく、再婚や複数の妻帯に対してのタブーは存在しなくなったのかもしれません。一時的には家庭争議になるケースもあるようですが・・・。しかし近年の若い人々の間では、こうした複数の妻帯にたいしては、抵抗があるようで、ほとんど見られなくなりました。

さて、2日目の夕方は強烈な雨と風に見舞われ、ダディンベシからの道路は巨石の落下で、道路は不通となりました。しかし、これは各地で同様なケースがあるようです。幸いに18時間後には復旧しました。山奥でも大型のブルドーザーが活躍し、一気に道路を修復することができるようになりました。運よく、翌日は、韓国からのボランティア団体がカトマンズからジープで日帰りの予定を組んだいました。タイミング良く帰りは便乗をお願いしたわけです。トヨタのランクルは快適な走行です。運転手も若く、感の鋭い目つきで安心安全の一言でした。帰りは3時に村を出ましが、カトマンズへは、3時間半後に到着することができました。
又機会があれば、是非この村を訪問したいものです。そして、この村が伝統的な文化を守りながら、将来どのような村として存続していくのか、関心を持ち続けたいと思います。

追記:昨年の地震の爪痕が多く残るのは、この地域だけではありません。他の地域も同様に復旧の兆しはまだまだ遠いものがあります。友人の話によると、昨年各国から集まった寄付金の配分がまだ未解決で、ようやく施行への道が開くようになったそうです。まだ時間がかかるようですが、政府からの支援金の配布がようやく始まろうとしています。人々は、それを待っている状況ですから、復旧の傷跡が深いという意味は、別の意味も含まれています。

1 件のコメント:

  1. 山間の村の実情が良く分かりました。ありがとうございました。
    地震で壊れた学校で学んでいる子供たちの姿がとても印象的でした。
    村までの険しい道路事情に較べると、私が経験したシャベルベンシ
    への道路は、快適の部類に入りそうですね。
    帰国間際の忙しい中の活動に敬服いたします。

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