2016年5月27日金曜日

スルケ村 その1

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カトマンズの南東170キロほどに位置したスルケ村にはおよそ200軒ほどの家があります。ネパール中央部を東西に走るマハバーラタ丘陵地帯にそって標高1800メートルほどの村はネパールの典型的な村を形成しています。最近は道路事情が改善され、その日のうちに村に到着することができます。高齢の人々の話を聞くと、カトマンズへ行くには、徒歩で丸3日を要したと聞くことができます。村には電気が来るようになりましたが、10年ほど前は、それぞれの家の屋根には太陽光発電の装置が今も名残をとどめています。村に電線が張り巡らされたと言えども、近くの水力発電所から電力が供給されるわけですが、風が吹いたり、強い雨に見舞われると電線に障害が発生し、停電することはしばしばありは、ます。山村ですから、補修するにしても時間がかかります。人々はその両方からの電力を巧みにつかいわけながら生活をしています。
ここジャガットさんの家にも、昨年から電気のメーターが設置されました。兄弟二人が中近東に出稼ぎに行っていますから、先日帰国した際に大型の液晶テレビを持ち込んだそうです。ネパールでは大きな画面のLCDテレビは税金がかかりますが、自分で持ち込めば、免除となります。こうした状況を上手につかいこなして23の壁掛けタイプのテレビが活躍しています。彼の家も昨年の震災に見舞われ、土造りの古い家屋はひび割れが生じ、二階部分は使用不能となり、トタン板で囲った簡素な仮小屋に住んでいます。
75歳のお父さんは今も元気で朝早く起きて農作業に励んでいます。そんなお父さんに娯楽のひと時を過ごしてもらおうという事で、大型テレビが登場しました。勿論テレビだけでは娯楽番組を見ることができません。当然の事ながら、衛星放送を契約しなければなりません。衛星放送と言っても、その回線はインドから借り受けなければなりません。こうして人々は次第にインド文化の影響を頻繁に受けることを余儀なくされるのが現状です。インドのヒンズー語とネパール語が非常に似ていることも、その影響を強くしています。ネパール人の多くはヒンズー語も理解します。
さてこの村への訪問は2度目になります。3年前に訪れた時はまだ幼い面影を残していた甥っ子は、もう小学校6年生です。この時期は成長が著しく早く彼の身長は、タケノコのように、一気に伸ばしていきました。私の旅の醍醐味は、こうした時間と共に経過する人との触れ合いを見出すことも、一つの大きな要素です。今回の訪問は、友人から預かった義援金を何かの役に立てたいと思いに馳せられての訪問でした。
事前にホテルハナのジャガットさんに相談し、老夫婦のみの世帯で生活に困っている家族と先天性の小児麻痺を患って歩行困難な子供を抱えている家族への支援を行う方向で話が進んでいました。さて、その実現の日が近くなってきます。
朝7時45分発のバスはカトマンズの中心にあるバス停から出発します。今回は運よく、ジャガットさんの弟ラムさんも一緒にいくことになりました。彼は村で農家の手伝いをしながら、今は、カトマンズで農業専門学校の講義を受けています。最近ネパールの多くの村では、若い人々が都会へ出稼ぎに行き、村は空洞の状態です。そんな中で、村の活性化を図るために新しい農業の在り方を取り入れようと真剣に考え実践している一人の青年です。
カトマンズから村への道のりは近年改善されましたが、カトマンズの宿を朝7時に出発し、9時間バスに揺られて、終点から歩いて1時間です。夕方日没の近い6時半にジャガットさんの家に到着することができました。 続く

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