帰国が数日後に迫り、いろいろと雑用をこなしている中、今日はスンダリジャルを訪問しました。昨年落第した生徒(ビジャイ)のその後がどうなったものか、ネパールへ来て以来気になっていました。今回のネパール訪問は、ゴラパニ・トレッキングを始めとし、ポカラ山岳博物館の支援、自然史博物館のデジタル博物館の立ち上げ、カトマンズ大学でのIT授業そして二か所の僻地を訪問して現状視察など、多くの課題に足を突っ込んでしまいました。いずれも皆から好評を受け来年も期待されてしまいました。
そんな中で、ビジャイはカトマンズ郊外16キロのスンダリジャルに住んでいる19歳の少年です。初めての出会いは10年以上も前になります。彼が小学校三年の頃、日本のボランティア団体から教育支援を受けていた時に、現地視察の名目で訪問したのがきっかけです。当時、幼い2か月の弟と4歳のビジャイを残して、病気で亡くなってしまいました。ビジャイの思い出には少しばかり母親の記憶があるそうです。さて、私が訪問した時は、学校から帰ると弟の為に食事を作っていました。家屋と言っても簡素な造りで、台所といっても、近くで集めてきた薪が燃料にして煮炊きをしていました。まさしく、小坊主と言えるでしょう。そんな姿が今でも私の記憶に残っています。
昨年は家庭の事情があって、悪友達と過ごす時間が多くなり、欠席が多くなり進級することもできず、ドロップアウト寸前でした。実際には、家庭の事情(父親が再婚し義母との関係がうまくいかない)、日本の支援機構からも支援を受けることもできず、やけくそになっていたようです。そうした情報が私に届き、昨年の3月は、本人の説得工作に奔走しました。それがひと段落した時に地震に見舞われ、自宅は半倒壊となりました。しかし、今回一年ぶりに対面した彼の表情は、こうした災難を乗り切って、勉学に励んでいました。あと一か月ほどで進級です。今年は間違いなく進級するそうです。何しろ9年生を二度続けたわけですから。そして来年は最終学年の10年生です。それが終わるとSLCという試験があり、これを取得することによって、就職には有利に働きます。本人もその点は自覚しているようで、目を輝かせながら頑張ろうという表情を読み取ることができました。
先日私はカトマンズから100キロ以上離れた田舎を訪問し、同世代の子供達の生活を見てきました。ここ、スンダリジャルはカトマンズから近く、勉強する環境には恵まれています。カトマンズの国立大学へは自宅から通学することも可能です。バスで30分いけば、専門学校もあります。こうした条件を比較して説明すると、その事にも納得したようで、自分の置かれた環境にめげることもなく、頑張っていくことでしょう。彼の友達は今カレッジに通っているそうで、以前の悪友とは縁が薄くなったようです。家には7人家族(両親と兄弟1人、そして妹が3人)が住んでいます。お父さんは先日まで近くで警備の仕事をしていましたが、数か月後には中近東に出稼ぎに行く予定が決まったそうです。現状では、家でロキシーを作って販売することで、多少の現金が入手でき、食べることに不自由はないと話してくれました。しかし、まだ幼い3人の妹はこれから費用がかかります。こうした状況から判断すると、外国への出稼ぎを強いられることになったのでしょう。
別れ際に、500ルピー札をそっと渡すと、自ら、「これは勉強の為に使います」と嬉しそうな笑顔を見せてくれました。首都の近くに住んでいるのですが、カトマンズへは年に2度ほどしたいかないようです。「来年は一緒にカトマンズにいこう。色々と見せてあげるから」と、褒美の言葉を残してスンダリジャルの訪問を終えました。
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