地震が発生してから、今日で6日目になりました。カトマンズ市内は少しづつ平静を保つようになっています。市内の交通機関は少しながら稼働しています。小さな商店も営業を始めました。ただ、レストラン等の開店はまだ数えるほどしか開いていないのが私達には困ります。ここネパールも雨季が始まりかけようとしています。そんな中でまだ多くの人々が野外でのテント生活です。余震も少なくなりましたが、依然として襲ってきます。今回の地震は、古い建物の倒壊が多くみられ、そんな中で下敷になった人々の数は相当なものになっています。各国から救援隊や物資が届くのですが、その管理や采配が思うように進まないのも現状です。市内の混乱はまだ当分続くのでしょうが、強盗や略奪などの行為は発生していないので安心です。そんな中で私は友人の家に寄宿している日々です。比較的安全と思われる築15年の建物でしっかりとした構造です。家の前には庭があって、いざという時には、そこへ逃げ込む算段をしています。
しかし、村の方では壊滅状態の地域もあるようで、先日訪問したランタン方面は余震が続き、雪崩や地すべりなどで多くの犠牲者がいるようです。外国人のトレッカーも多く含まれています。救援はヘリコプターのみが頼りという現状です。
インドからは、50台の車両や、食料、テントなどタイムリーな支援が続いています。しかし、受け入れ体制が不十分な為、どのように調整していくのか、大きな混乱があることはいとめません。何をするにしても、難局に差し掛かっています。でも最近は少しばかり正常に動き始めているようです。中国のレスキュー隊が制服姿で捜索犬を伴って活動している現場を見かけました。あちこち古い建物が多い場所では瓦礫がうずくまっています。市内の清掃にも手が回らなく、すぐに、街の中はゴミが散乱しています。ガソリンスタンドは長蛇の列が続いています。
いわゆる、無策の政府に批判が集中しているようですが、これを批判し続けていても、何の解決にもならない事も皆知っています。やるせない不満が多く人々の心の中に埋もれたままです。ここで、大きな暴動に繋がらないのが、ネパール人の性格でしょうか!比較的穏やかな人々とも言えるでしょう。いや、カースト制の抑圧という伝統があまりにも長く存在し、上部に対しての意見を控えるという一面も作用しているでしょう。また、そうすることによって、自分たちの責任を回避出来るという利点も享受してきたことも事実です。こうした特殊な社会が成し得た結果、このような現象になっているかに見えます。そして、最大の混乱は政治抗争に明け暮れ、私欲に満ちた政治家達の責任も問われるのですが、上から下まで国家全体が腐敗の構造にまみれてしまっているので、この問題は簡単に整理出来るものではありません。こうした体質を続けながらも、少しは変革の兆しがないと、この国の発展は望めないでしょう。
最新の記事ではマレーシアには、300万人が出稼ぎに行っているという話です。ということはこの国の10%の人口がマレーシアに住んでいることになります。マレーシア政府は雇用主との協議で一ヶ月分の有給を出し、帰国希望者には便宜を図るという記事がありました。今回の災害は、更なく国外への出稼ぎを生み出すことに繋がるのではないでしょうか?上流階層の人々にとって、アメリカやオーストラリアなどへの国外移住をすることが、彼らの一般的な実現可能な希望になっているのは周知の事実です。こうして、国の富が益々流出していくのは間違いありません。
ここ数年の間、観光業は大きなダメージを受けるでしょう。そして、カトマンズの不動産のバブルも崩壊していくと見られます。これらに投資していた銀行や金融業界が正常に機能するものか、様々な問題が生じてきます。経済の規模は観光業関連の占める比率は近年急激に低下していますから、大きな影響はないと思います。しかし、私達の周囲の友人は殆どがこうした観光に関連した産業で生計を立てていた人々が大半ですから、その打撃は大きいでしょう。既に、ネパールのツアーは当然の事として中止になっています。
インドや、ネパール南部からの物資が通常と同じように再会されていれば、問題はないのですが、今後雨季に入ると、今回受けた地震で地質が大きく変化した地域で多くの土砂崩れなどが発生し、再び道路の運行が不通になることが懸念されます。地域によっては、80から90%の家屋が被害を受けたとの知らせが入っています。復旧には、かなり時間がかかるでしょう。一年いや5年ほど要するのではないでしょうか?カトマンズ盆地に限っては今の所平静です。今後地方の情勢が明るみになるにつれて、死傷者の数は膨大なものになるでしょう。
私の友人の家も4人からの報告では、全壊もしくは、一部崩壊と知らせが入っています。これらの再復帰にはまだまだ時間と資金が必要となってきます。カトマンズ盆地の人口の1割以上が地方に移住し始めています。一気にその数も増えつつあります。市内中心部の広場ではテント生活がまだ続いていますが、一時に比べると少し現象しています。しかし、こうしたオープンスペースでの生活も限界があり、家族によっては、自炊設備一式を持ち込んでの人々もいます。しかし、大量に押し寄せる人々に対して水やトイレの問題がつきまとい、伝染病の拡大も懸念され始めました。
そんな中で、CNN(アメリカのニュース配信会社)の中継車を見かけます。現在の状況は、BBCやCNNそしてインドの放送局から、逐一詳しく報道されているのが現状で、政府やネパールのマスコミ自体が右往左往していると言えるでしょう。地震発生の第一情報は勿論米国のUSGA(アメリカ地質調査局)からの情報が真っ先に入りました。各国から押し寄せる支援や、救急隊員の派遣などにも、前代未聞の状況に政府は対応しきれないのが事実です。
地方の古い家屋の多くはこわれてしまい。続く余震で人々は不安な日々を過ごしているわけです。幹線道路の確保は今の所大丈夫ですが、いつこれが不通になるか分かりません。雨季が重なると更に厳しい状況になるでしょう。インドから大量に流れ込む生活必需品の輸送が停止するとカトマンズ盆地の生活は麻痺してしまいます。これを避けようと多くの人が脱出を試みています。
空港も大混雑していますが、徐々にその機能を回復しつつあると見ています。昨日29日に比べると交通量も増えました。銀行も稼働しています。今後更なる大きな余震が来ないように祈るしかありません。今度、少し大きいのが来ると、傷んだ建物からの崩壊が心配です。しかしポカラ方面は比較的被害が少なく落ち着いているとの報告があります。
しかし、地方の状況が明るみにでるに連れて、被害の状況が拡大しています。本当に悲しい出来事かと思います。しかし、絶望の淵にいるだけでは、将来が開けて来ません。ポジテブに物事を考えていかなければならないわけです。しかし、現状が現状ですから、そう簡単に心を切り替えることも出来ない人々が多くいます。
今現地であちこちの友人達とフェイズブックを通して友人達とやりとりをして励まし合っています。最初の夜はホテルに宿泊していたのですが、近くの宿が全壊で30人程が瓦礫の下敷になったという悲劇が伝わり、余震を恐れて全員宿の近くの空き地に雑魚寝状態になりました。そんな中で地元の有志がじゃがいもの煮付けとチュラ(乾飯)を集まった人々全員に配っていたのが印象的でした。フィエスブックでは、もっぱら友人達の安否を気遣い、彼らの心のケアをしているような状況です。皆不安から、この困難から呆然としてしまっています。物質的な経済的な支援は出来ないのですが、現状の心の悩みを聞くことで彼らの心をほぐしています。今のところ、通常のレストランは多くが閉店しています。もうしばらく状況をみたいと思います。
万一事情が急変すれば、帰国の途につくことになるでしょうが、まずは、私自身が冷静になることが一番です。もうしばらく現地に留まる予定でいます。