2015年5月21日木曜日

またまたスンダリジャル

今日もスンダリジャルに出かけました。4月25日の震災の後二回目の訪問です。郊外には、又あちこち仮設テントで暮らしている人々もいます。古い家屋の再建には時間がかかるようです。そんな中でビジャイの家は、自分たちで仮設住宅!らしきものを作り始めていました。確かに彼らの生活水準は、以前に比べると良くなっています。5年前にビジャイの家を訪問した時は、ガスがなく、薪で台所仕事をしていました。それが、ガス台そしてボンベがあります。テレビも旧型のようですが、安全な場所に避難しています。今回訪問した時は親戚も一緒に仮の住まいをつくろうと頑張っている姿が見えました。でも、この地域はどうも地すべり多発地帯のようで、それが少し気にかかります。そして、勿論の事、商売の為の地酒作り(ロキシ)の製造中とみえて、かまどに火がP_20150521_125553P_20150521_125620P_20150521_141658P_20150521_141906

こうこうとしています。私も今回はささやかながら、資金援助です。私の提供する額は、雀の涙ほどしかないのですが、こうした難局を共にわかちあう心を汲みとってもらい、共有することで、確かな希望も湧いてくるのが常です。「これは、ほんのわずかで、足りないのは当然でしょう。でも、こうして少しでも役にたってくれれば嬉しいですよ。後は自分たちでどうやって暮らしていくか考えてくださいね。」いわゆる励ましという事でしょうかね。

2015年5月19日火曜日

NGOの現場

中国からの支援


昨日は、お米や他の食料などを準備して、いよいよ出発の日です。朝8時半に出発ということで、その20分前に現場に駆けつけると連絡を受けた場所に到着すると既に手配されていたミニバス(32人乗り)が現場に待っていました。
早速既に到着していたスタッフの流れ作業でお米40袋を車内に積み込み完了です。予定を少し遅れて835分に出発となりました。我々のグループは5名です。今回ミニバスを利用したのは、検問逃れというか、一種の偽装工作です。トラックに混載すると、救援物資を積んでいることが丸見えとなり、届け先や責任者などの確認の書類が必要となり、道中で何度かの検問にひっかかります。今回は、我々日本人と、風のスタッフ3名の合計五名です。私達が乗客として乗っていれば、何ら怪しまれることはありません。座席に荷物を積み込むのは少し面倒ですが、30キロの米を40袋ということは、20人の乗客が乗り込んだと同じ重量になります。エンジン快調で、別のグループと合流する場所に向かいました。
さて、15分程走ったところで、このミニバスは軽油補給です。元来、車をレンタルする場合、燃料代はお客持ちが習慣となっています。カトマンズからの乗客の動きは地震の影響で、ミニバスの需要は激減していますから、比較的安い価格で提供をしてもらうことが可能です。さて、ガソリンスタンドに到着したのですが、停電とかで、メーターが作動しません。急遽非常電源に切り替えたものの、油が入っている気配はありますが、値段と給油量の数字は同じ数を保ったままです。まあ、そんな事は気にせずに満杯にしていよいよ出発となりました。

2015年5月5日火曜日

ネパール地震(3)

小分けしたお茶セット

まずは、これを配給

集落に到着

駆け寄る人々
さて、地震発生から一週間以上経過しました。しかし今度は支援にまつわる不具合が沢山出てきました。日本の場合はシステムが順調に作動し救援活動がスムーズに進みます。しかし、ここネパールの現場では、今までにない巨大な地震が発生し、経験のない状況での混乱が続出してい

2015年5月3日日曜日

ネパール大地震 その時!

さて、今日で丁度一週間が経過しました。街そのものは次第に活気を取り戻そうとしています。この国では土曜が休みとなっているので、殆どの店は閉店し、交通量も激減するのが土曜日です。んな中を友人がバイクで迎えに来ました。今日は友人の家庭訪問です。この家の主人はエベレスト遠征の山岳ガイドとして、先月下旬からベースキャンプ方面で仕事をしています。そうした状況の元で母親が小学校2年と5年生の娘を抱えてその留守を仕切っています。丁度一週間前に、この家族を訪ね、昼食をごちそうになり歓談をしている際に大きな地震に見舞われたのです。揺れは数分間続いたでしょうか?横揺れよりも、縦揺れが激しく、室内では棚や高い所からの落下物は殆どなかったように記憶しています。揺れが少し収まりかけた頃、周辺の人々は一気に近くにある広場に集まって来ました。勿論、この家族と共に、私もすぐ近くの広場に駆けつけました。その後、数回余震がドドンと激しく響く毎に集まった人々から悲鳴が聞こえました。悪しも、上空は曇り空で、鳥達が上空を群れをなして飛び回っています。そんな不気味な空模様は、この震災の恐怖を更に煽り立てているかのようです。

2015年5月1日金曜日

ネパール大地震その後

地震が発生してから、今日で6日目になりました。カトマンズ市内は少しづつ平静を保つようになっています。市内の交通機関は少しながら稼働しています。小さな商店も営業を始めました。ただ、レストラン等の開店はまだ数えるほどしか開いていないのが私達には困ります。ここネパールも雨季が始まりかけようとしています。そんな中でまだ多くの人々が野外でのテント生活です。余震も少なくなりましたが、依然として襲ってきます。今回の地震は、古い建物の倒壊が多くみられ、そんな中で下敷になった人々の数は相当なものになっています。各国から救援隊や物資が届くのですが、その管理や采配が思うように進まないのも現状です。市内の混乱はまだ当分続くのでしょうが、強盗や略奪などの行為は発生していないので安心です。そんな中で私は友人の家に寄宿している日々です。比較的安全と思われる築15年の建物でしっかりとした構造です。家の前には庭があって、いざという時には、そこへ逃げ込む算段をしています。

しかし、村の方では壊滅状態の地域もあるようで、先日訪問したランタン方面は余震が続き、雪崩や地すべりなどで多くの犠牲者がいるようです。外国人のトレッカーも多く含まれています。救援はヘリコプターのみが頼りという現状です。

インドからは、50台の車両や、食料、テントなどタイムリーな支援が続いています。しかし、受け入れ体制が不十分な為、どのように調整していくのか、大きな混乱があることはいとめません。何をするにしても、難局に差し掛かっています。でも最近は少しばかり正常に動き始めているようです。中国のレスキュー隊が制服姿で捜索犬を伴って活動している現場を見かけました。あちこち古い建物が多い場所では瓦礫がうずくまっています。市内の清掃にも手が回らなく、すぐに、街の中はゴミが散乱しています。ガソリンスタンドは長蛇の列が続いています。

いわゆる、無策の政府に批判が集中しているようですが、これを批判し続けていても、何の解決にもならない事も皆知っています。やるせない不満が多く人々の心の中に埋もれたままです。ここで、大きな暴動に繋がらないのが、ネパール人の性格でしょうか!比較的穏やかな人々とも言えるでしょう。いや、カースト制の抑圧という伝統があまりにも長く存在し、上部に対しての意見を控えるという一面も作用しているでしょう。また、そうすることによって、自分たちの責任を回避出来るという利点も享受してきたことも事実です。こうした特殊な社会が成し得た結果、このような現象になっているかに見えます。そして、最大の混乱は政治抗争に明け暮れ、私欲に満ちた政治家達の責任も問われるのですが、上から下まで国家全体が腐敗の構造にまみれてしまっているので、この問題は簡単に整理出来るものではありません。こうした体質を続けながらも、少しは変革の兆しがないと、この国の発展は望めないでしょう。

最新の記事ではマレーシアには、300万人が出稼ぎに行っているという話です。ということはこの国の10%の人口がマレーシアに住んでいることになります。マレーシア政府は雇用主との協議で一ヶ月分の有給を出し、帰国希望者には便宜を図るという記事がありました。今回の災害は、更なく国外への出稼ぎを生み出すことに繋がるのではないでしょうか?上流階層の人々にとって、アメリカやオーストラリアなどへの国外移住をすることが、彼らの一般的な実現可能な希望になっているのは周知の事実です。こうして、国の富が益々流出していくのは間違いありません。

ここ数年の間、観光業は大きなダメージを受けるでしょう。そして、カトマンズの不動産のバブルも崩壊していくと見られます。これらに投資していた銀行や金融業界が正常に機能するものか、様々な問題が生じてきます。経済の規模は観光業関連の占める比率は近年急激に低下していますから、大きな影響はないと思います。しかし、私達の周囲の友人は殆どがこうした観光に関連した産業で生計を立てていた人々が大半ですから、その打撃は大きいでしょう。既に、ネパールのツアーは当然の事として中止になっています。

インドや、ネパール南部からの物資が通常と同じように再会されていれば、問題はないのですが、今後雨季に入ると、今回受けた地震で地質が大きく変化した地域で多くの土砂崩れなどが発生し、再び道路の運行が不通になることが懸念されます。地域によっては、80から90%の家屋が被害を受けたとの知らせが入っています。復旧には、かなり時間がかかるでしょう。一年いや5年ほど要するのではないでしょうか?カトマンズ盆地に限っては今の所平静です。今後地方の情勢が明るみになるにつれて、死傷者の数は膨大なものになるでしょう。

私の友人の家も4人からの報告では、全壊もしくは、一部崩壊と知らせが入っています。これらの再復帰にはまだまだ時間と資金が必要となってきます。カトマンズ盆地の人口の1割以上が地方に移住し始めています。一気にその数も増えつつあります。市内中心部の広場ではテント生活がまだ続いていますが、一時に比べると少し現象しています。しかし、こうしたオープンスペースでの生活も限界があり、家族によっては、自炊設備一式を持ち込んでの人々もいます。しかし、大量に押し寄せる人々に対して水やトイレの問題がつきまとい、伝染病の拡大も懸念され始めました。

そんな中で、CNN(アメリカのニュース配信会社)の中継車を見かけます。現在の状況は、BBCやCNNそしてインドの放送局から、逐一詳しく報道されているのが現状で、政府やネパールのマスコミ自体が右往左往していると言えるでしょう。地震発生の第一情報は勿論米国のUSGA(アメリカ地質調査局)からの情報が真っ先に入りました。各国から押し寄せる支援や、救急隊員の派遣などにも、前代未聞の状況に政府は対応しきれないのが事実です。

地方の古い家屋の多くはこわれてしまい。続く余震で人々は不安な日々を過ごしているわけです。幹線道路の確保は今の所大丈夫ですが、いつこれが不通になるか分かりません。雨季が重なると更に厳しい状況になるでしょう。インドから大量に流れ込む生活必需品の輸送が停止するとカトマンズ盆地の生活は麻痺してしまいます。これを避けようと多くの人が脱出を試みています。

空港も大混雑していますが、徐々にその機能を回復しつつあると見ています。昨日29日に比べると交通量も増えました。銀行も稼働しています。今後更なる大きな余震が来ないように祈るしかありません。今度、少し大きいのが来ると、傷んだ建物からの崩壊が心配です。しかしポカラ方面は比較的被害が少なく落ち着いているとの報告があります。

しかし、地方の状況が明るみにでるに連れて、被害の状況が拡大しています。本当に悲しい出来事かと思います。しかし、絶望の淵にいるだけでは、将来が開けて来ません。ポジテブに物事を考えていかなければならないわけです。しかし、現状が現状ですから、そう簡単に心を切り替えることも出来ない人々が多くいます。

今現地であちこちの友人達とフェイズブックを通して友人達とやりとりをして励まし合っています。最初の夜はホテルに宿泊していたのですが、近くの宿が全壊で30人程が瓦礫の下敷になったという悲劇が伝わり、余震を恐れて全員宿の近くの空き地に雑魚寝状態になりました。そんな中で地元の有志がじゃがいもの煮付けとチュラ(乾飯)を集まった人々全員に配っていたのが印象的でした。フィエスブックでは、もっぱら友人達の安否を気遣い、彼らの心のケアをしているような状況です。皆不安から、この困難から呆然としてしまっています。物質的な経済的な支援は出来ないのですが、現状の心の悩みを聞くことで彼らの心をほぐしています。今のところ、通常のレストランは多くが閉店しています。もうしばらく状況をみたいと思います。

万一事情が急変すれば、帰国の途につくことになるでしょうが、まずは、私自身が冷静になることが一番です。もうしばらく現地に留まる予定でいます。