いろいろな数字が出て、世界が撹乱されているようです。一体何が原因でこうした事が起きるのでしょうか?マスコミでは様々な数値が報告され、それを解説してくれるわけですが、今一つしっくりと行きません。もっとわかりやすい説明はないものでしょうか?ギリシアやイタリアなどが膨大な借金を抱え込んでいるとの事ですが。その借金返済の目処がつかないようです。要するに、ECという大家族の中で内輪で借金をしていたような状況でしょうか?厳密に言えば、内輪というか、多少その範囲は広がっているわけですが・・・・。借りたお金が、自立の為に使われたのではなく、どちらかというと、消費財にその多くが回ってしまったのでしょう。借金をするからには、自分たちの財産が失くなり、身売りしたわけでもないようです。プール付きの家やヨットなどがゴロゴロ転がっている国に見受けます。借金の大半は、ギリシア国民の年金や、社会保障の財源に振り当てられているようです。どうも、この国では、自分たちの財を切り売りする気配も有りません。もし、これが、EU加盟国でなければ、当然の事ながら、その国の通貨が弱くなり、借金の額はサラ金の如く倍増していくわけでしょう。そうなると、外国製品を安く購入するわけには行きません。となれば、自国産の製品(例え粗悪であっても)で賄うしかないわけです。それが、自然と競争力をつけ、いわゆる、国力(通貨)がゆっくりと回復に向かうはずです。しかし、どうも、ラテン系の国には、そういった気配を感じることは出来かねるようです。この当たりの問題が根本的に控えているのではないでしょうか?
特にギリシアは、国内の産業(工業)が殆ど育つことなく、私のイメージでは海運と観光の国ということが浮かびます。国民性にも現れるように、コツコツとものづくりに励むことを失うというのは、悲しい結果につながって行くかもしれません。観光という商品はその価値を計る尺度が非常に難しいものがあります。骨董品販売にも似ているのではないでしょうか?例えば、ネパールのヒマラヤ観光をするには、かなりの金額を用意しなければなりません。世界最高峰のエベレスト登山は莫大な金がかかります。その多くが登山料という名目で国の機関に収納されていきます。しかも、その資金は、どのように分配されていくのか、不透明な部分で盛り上がっています。ひっとして、ギリシアと似たような部分があるのかもしれません。観光収入の多くが政府関連要人の個人財産に化けているのかもしれません。どちらが、先なのかわかりませんが。政府は金が足りないという反面、すごい金持ちが存在し続けるという構造です。
日本の財政問題も、大きな赤字を抱えて四苦八苦している様相です。赤字補填の為に税金を上げるとなれば、それなりの反論が大きく渦巻いてきますから、こうした問題の解決はいつまでも、出口が見えて来ません。何しろ、国民のほぼ全てが自分たちの特権保持、利益確保のために翻弄する時代になりました。まあ、それでも、日本政府は巧みにわからない様に、何らかの手段で少しでも歳入増、歳出の切り詰めをしているようです。
そんな中で、ブータン国王夫妻の訪問があったのですが、ブータンの国が指針としている、国民総幸福指数という概念については、殆どその実態が報道されることもなく、たとえあったとしても、名前だけの紹介で終わっていったようです。
現在の日本や、ヨーロッパに、こうした概念を持ち込むことは多少の無理があるかもしれませんが、このユートピア的な思考についての議論が少なかったのは現実かと思います。ブータンの理念は、一部肯定出来る部分もあります。仮に肯定する場合は、一定の衣食住の確保と自然と一体となった生活、そして宗教性という要素が前提になるのではないでしょうか?幸いにこの国の総人口が70万人程度という事実は、日本の小さな地方の一つの県の人口と同程度です。そういった条件が整った上では、ある程度納得の行く思考といえます。しかし、ブータンとて、国境はオープンになっています。空中を漂う電波に対してはブロックのしようが有りません。どうしても、周辺諸国の影響を受けてしまうことになるでしょう。
こうした、ブータン方式が現在の経済至上主義の世界へ救いの手としての影響を与えてくれないものでしょうか?まあ、誰も賛同しないかもしれませんがねぇ
特にギリシアは、国内の産業(工業)が殆ど育つことなく、私のイメージでは海運と観光の国ということが浮かびます。国民性にも現れるように、コツコツとものづくりに励むことを失うというのは、悲しい結果につながって行くかもしれません。観光という商品はその価値を計る尺度が非常に難しいものがあります。骨董品販売にも似ているのではないでしょうか?例えば、ネパールのヒマラヤ観光をするには、かなりの金額を用意しなければなりません。世界最高峰のエベレスト登山は莫大な金がかかります。その多くが登山料という名目で国の機関に収納されていきます。しかも、その資金は、どのように分配されていくのか、不透明な部分で盛り上がっています。ひっとして、ギリシアと似たような部分があるのかもしれません。観光収入の多くが政府関連要人の個人財産に化けているのかもしれません。どちらが、先なのかわかりませんが。政府は金が足りないという反面、すごい金持ちが存在し続けるという構造です。
日本の財政問題も、大きな赤字を抱えて四苦八苦している様相です。赤字補填の為に税金を上げるとなれば、それなりの反論が大きく渦巻いてきますから、こうした問題の解決はいつまでも、出口が見えて来ません。何しろ、国民のほぼ全てが自分たちの特権保持、利益確保のために翻弄する時代になりました。まあ、それでも、日本政府は巧みにわからない様に、何らかの手段で少しでも歳入増、歳出の切り詰めをしているようです。
そんな中で、ブータン国王夫妻の訪問があったのですが、ブータンの国が指針としている、国民総幸福指数という概念については、殆どその実態が報道されることもなく、たとえあったとしても、名前だけの紹介で終わっていったようです。
現在の日本や、ヨーロッパに、こうした概念を持ち込むことは多少の無理があるかもしれませんが、このユートピア的な思考についての議論が少なかったのは現実かと思います。ブータンの理念は、一部肯定出来る部分もあります。仮に肯定する場合は、一定の衣食住の確保と自然と一体となった生活、そして宗教性という要素が前提になるのではないでしょうか?幸いにこの国の総人口が70万人程度という事実は、日本の小さな地方の一つの県の人口と同程度です。そういった条件が整った上では、ある程度納得の行く思考といえます。しかし、ブータンとて、国境はオープンになっています。空中を漂う電波に対してはブロックのしようが有りません。どうしても、周辺諸国の影響を受けてしまうことになるでしょう。
こうした、ブータン方式が現在の経済至上主義の世界へ救いの手としての影響を与えてくれないものでしょうか?まあ、誰も賛同しないかもしれませんがねぇ
経済至上主義って「イタイ」ですね。まあ、日本も段々とそのようになっているわけですが…。これまでの日本は資本主義でありながら、かなりの社会主義的な社会でもあったと思います。良い意味でです。ある程度の心意気と道徳心もあり、なんとなく穏やかに暮らしてきたような気がします。(勘違い??)けれど今は皆が「評論家」気取り、誰かのせいにして、混沌とした流れになってはいないでせうか。
返信削除健康に生きているだけでも、すんごいことなんですがね。
ブータンはこれからも「幸せ」ですか??