以前15年ほど前にブータンに足を踏み入れたことがあります。ブータンと言っても、インドと国境を接しているジャイガオンという街でした。街の半分がインド領で、半分はブータン領で、道路を挟んで国境になっていました。当時は道路を超えてブータン領内の宿に宿泊することが出来ました。道路を挟んで、何の仕切りも、鉄条網もありません。本線の道路には立派な検問所もあり、ここからが、ブータンなることを象徴すべきゲートも設置され、警備員や税関職員、そして入国管理官が常駐していました。いわゆる、インドと接しているのは、いわゆる袋小路の裏道みたいな所でした。インド側の街はジャイガオン、ブータン側はプンツェリンという名前だったと思います。カルカッタから北へ500キロほどいった所は、インド東北部で国境が不自然な形をして、くびれています。ネパールとバングラデッシュがものすごく近くインドを挟んで対峙しています。この地域の交通の要所がシルグリという街です。ここからは、ダージリン行、ネパール国境行き、シッキム行アッサム州都のゴウハティ行などがあります。そんな中でジャイガオンといえば、2時間もかからない距離ですが、ブータン国境の街でした。
今でも、ブータンはインドのように、自由に旅をすることはできません。政府の指定した一定の水準を持った宿しか宿泊できないようです。しかも、一日あたり観光費用込みで200ドルほどが強制的に徴収されるパッケージ形式と聞きます。
当時唯一安い宿に泊まることができたのが、このプンツェリンの街でした。もう、殆どインドの街とは変わりません。いや、変わり様がないかご思います。店に並ぶ商品の多くはインド製です。多分最近は中国製も入っていることでしょう。軍隊はインドにお任せという国情があるようです。インドと中国に囲まれているわけですが、インドとは、国境にそって鉄条網があるわけでもなく、いわゆるオープンボーダーです。
この国が提唱している国民総幸福度とかいう指数を重視しているようですが、この対応には様々な難関が待ち構えています。
最近どの国でもインターネットが普及し、ウェブサイトの閲覧だけではなく、双方向でデータを送信しチャットをしたり、SNS(ソーシャルネットワークサービス)を利用して交流の場を広げるフェイスブックなどが流行しています。ブータンもこうした、情報の渦に巻き込まれているのが現実でしょう。発信地がブータンという事例も少なくはないようです。こうした情報の氾濫で、次第にブータン独自の政策は次第にその意義、主張が薄れていくことになるでしょう。インターネットは情報革命だったと言われて、もう数十年になります。最近の技術の進歩は加速度的に飛躍しています。同時に、世界のファッションが一瞬にして世界各地に広まります。また、思考も同時に画一的なものになり、伝統的な手法を残そうとしても、そこには大きな負担がかかって来ます。もう、世界中の人々が同じ考え、似たような考えで生きていかざるを得なくなるような気配を感じてなりません。
さて、ブータンの件ですが、これも、古い話ですが、15年ほど前になるでしょう。バンコクからカルカッタへの最安値のフライトはブータン国営航空を利用することでした。当時で120ドル程度(14000円)程だったと思います。この便はバンコク発カルカッタ経由ブータン行となっています。当然のことながら、バンコクからは多くのブータン人が乗り込みました。その服装は、女性は最新のファッションで着飾っていました。男性も勿論背広姿が目立ちます。家族連れも見かけます。何かしら、ごっそりと、有名デパートの袋の中に土産物らしきものが沢山入っています。人口は60万ほどの小さな国ですが、こうした、海外からの影響も次第に浸透していくのは当然のことでしょう。国民総幸福指数を持ち込んでも、物質文明にまみれた、貨幣経済を基盤として従来の評価(国内総生産高)も避けてとおることはできないでしょう。
最後にもうひとつ、この国の問題は国内での外国人問題!すなわちネパール系住民が難民として、10万人国外に住んでいることです。国内の人口70万人に対して10万人は大きな数字です。人口の2割がネパール系住民、8割がチベット系住民で構成されています。そうした、環境の中で、チベット系住民のみがブータン人として優遇されているのではないでしょうか?国家全体を考えると、2割に及ぶネパール住民は、ブータン政府の国民総幸福量の政策に含まれているのでしょうか?国境がオープンになっているわけですから、当然のことながら、この地域(特に南部の低山地帯)は人々の移動を容易なものにします。ご存知のようにダージリンはネパール語が使われています。インド東北部ではネパール人が随所に生活の基盤を持っているわけです。そうした、状況のネパールの政策が、ブータン人優先策と、経済至上主義ではない国民総幸福度という尺度の2つの車輪を掲げて走っているようですが・・・・。
今でも、ブータンはインドのように、自由に旅をすることはできません。政府の指定した一定の水準を持った宿しか宿泊できないようです。しかも、一日あたり観光費用込みで200ドルほどが強制的に徴収されるパッケージ形式と聞きます。
当時唯一安い宿に泊まることができたのが、このプンツェリンの街でした。もう、殆どインドの街とは変わりません。いや、変わり様がないかご思います。店に並ぶ商品の多くはインド製です。多分最近は中国製も入っていることでしょう。軍隊はインドにお任せという国情があるようです。インドと中国に囲まれているわけですが、インドとは、国境にそって鉄条網があるわけでもなく、いわゆるオープンボーダーです。
この国が提唱している国民総幸福度とかいう指数を重視しているようですが、この対応には様々な難関が待ち構えています。
最近どの国でもインターネットが普及し、ウェブサイトの閲覧だけではなく、双方向でデータを送信しチャットをしたり、SNS(ソーシャルネットワークサービス)を利用して交流の場を広げるフェイスブックなどが流行しています。ブータンもこうした、情報の渦に巻き込まれているのが現実でしょう。発信地がブータンという事例も少なくはないようです。こうした情報の氾濫で、次第にブータン独自の政策は次第にその意義、主張が薄れていくことになるでしょう。インターネットは情報革命だったと言われて、もう数十年になります。最近の技術の進歩は加速度的に飛躍しています。同時に、世界のファッションが一瞬にして世界各地に広まります。また、思考も同時に画一的なものになり、伝統的な手法を残そうとしても、そこには大きな負担がかかって来ます。もう、世界中の人々が同じ考え、似たような考えで生きていかざるを得なくなるような気配を感じてなりません。
さて、ブータンの件ですが、これも、古い話ですが、15年ほど前になるでしょう。バンコクからカルカッタへの最安値のフライトはブータン国営航空を利用することでした。当時で120ドル程度(14000円)程だったと思います。この便はバンコク発カルカッタ経由ブータン行となっています。当然のことながら、バンコクからは多くのブータン人が乗り込みました。その服装は、女性は最新のファッションで着飾っていました。男性も勿論背広姿が目立ちます。家族連れも見かけます。何かしら、ごっそりと、有名デパートの袋の中に土産物らしきものが沢山入っています。人口は60万ほどの小さな国ですが、こうした、海外からの影響も次第に浸透していくのは当然のことでしょう。国民総幸福指数を持ち込んでも、物質文明にまみれた、貨幣経済を基盤として従来の評価(国内総生産高)も避けてとおることはできないでしょう。
最後にもうひとつ、この国の問題は国内での外国人問題!すなわちネパール系住民が難民として、10万人国外に住んでいることです。国内の人口70万人に対して10万人は大きな数字です。人口の2割がネパール系住民、8割がチベット系住民で構成されています。そうした、環境の中で、チベット系住民のみがブータン人として優遇されているのではないでしょうか?国家全体を考えると、2割に及ぶネパール住民は、ブータン政府の国民総幸福量の政策に含まれているのでしょうか?国境がオープンになっているわけですから、当然のことながら、この地域(特に南部の低山地帯)は人々の移動を容易なものにします。ご存知のようにダージリンはネパール語が使われています。インド東北部ではネパール人が随所に生活の基盤を持っているわけです。そうした、状況のネパールの政策が、ブータン人優先策と、経済至上主義ではない国民総幸福度という尺度の2つの車輪を掲げて走っているようですが・・・・。
0 件のコメント:
コメントを投稿