2016年2月27日土曜日

アマダプラムの涙

ネパールヒマラヤのエベレスト街道にひときわ目立つ山がそびえています。それは、標高6,857メートルのアマダブラム(母の首飾り)という絶壁を抱えた勇壮な山です。高度な技術を要するこの山に友人は三度挑みました。
友人のシェルパの手記、そして聞き語りをまとめると以下のようになります。全行程はカトマンズを出発してからカトマンズに帰着するまで21日間を必要とします。その中で標高4600メートルのベースキャンプからの行動は14日間に及ぶ登山が標準的なコースとなっているそうです。今回はフランス人のグループを連れての登山です。

登頂の日ともなれば、私達の想像を絶する厳しい世界が待っています。手記によると登頂の日はBC2を早朝3時に活動を開始し、BC2に帰り着いたのが夜の9時になりました。3人のシェルパがルートを設定しサルキは午前8時に頂上に到達しました。合計三名の客を登頂に導いたわけですが、彼の担当する客は12時半にようやく登頂しました。となるとシェルパは4時間半という長い時間を頂上で待っていたことになります。空気も薄く、酸素マスクがあるわけでもなく、私達にはどのような状態に陥るのか判断がつきません。しかも標高は6800メートルを超えています。まさしく低酸素、寒冷地、孤独の世界です。余程心身共に鍛錬されたいないとうした状況を乗り切ることはできないでしょう。
無事登頂したものの、高度の関係で動作は極めてゆるくなり、下山を始めたのが午後4時です。運悪く下山の途中に客は高度障害で倒れましたが、救急措置で通例となっているダイアモックスを投与することで、急場をしのぐことができました。下山の途中にその客はクランポンを片方なくしたので、自分のつけているクランポンを譲り、シェルパは片方のみクランポンを着けて下山したとの事です。この19時間の行動はまさしく生死をさまよう時空だったのかもしれません。
ベースキャンプに到着した後、その客は担当のシェルパに対して絶大な感謝の意を示したそうです。私の国へ招待しますから・・・・と言われれば、人間だれでも心が高揚します。しかしその結果は無残なものがあるのも事実です。
しかし、シェルパの場合はその後しばらくしてから、ほとんど連絡が来なくなったそうです。こうしたケースは彼だけでは、なく多くのケースが見られるようです。登山ガイドの立場は微妙なものがあります。顧客の目からするとあくまでも雇用関係にしかすぎません。エビレスト登頂で有名なヒラリー氏とテンジン・ノルゲ氏の記者会見の話は有名です。誰が最初に登頂したかの点で、ヒラリー氏が一番でテンジン氏が二番になるように口合わせをしたものの(実際はテンジン氏が先導)、テンジン氏の口からは、私は二番、そしてヒラリー氏が三番だといったそうな!
しかし時代はどんどん変化していきます。シェルパ達の実力は西欧の登山家以上の資質があり、能力が備わっています。しかしそれに見合う対価が支払われているかどうかは疑問が多く残ります。エベレスト遠征で西欧登山家の個人ガイドは1000万円、ネパール人シェルパの場合は半額の500万円になっているのも事実です。
我が友人のシェルパは、こうした肉体的な苦労や精神的な障害を乗り越えて、今も可愛い二人の娘の為に日々頑張っています。彼の人生に幸あれを祈るばかりです。

1 件のコメント:

  1. こんなに超一流な山岳ガイド(今頃エベレストサミットに挑戦しているんではないでしょうか)に、導かれて私たちは エベレスト街道・ランタン・ゴサインクンド・ジョムソン街道と4回も行動を共にしたことを、誇らしく思います。
    今はただ 無事にエベレスト登頂を果たされることを祈っています。登頂の際は、私たちの写真をサミットに埋めてくると約束してくれましたが、そんなことはいいから 無事に戻ってきてください。

    返信削除