さて、ドゥンチェ行きのバスは相変わらず満席です。車内は阿鼻叫喚の世界が始まりました。ドゥンチェ行きのバスは朝6時半、7時半そして8時半の三便があります。今日はドゥンチェまで行けば良いので、急ぐ事はないとの判断で最終便をゲットすることになりました。定宿のふじホテルからは、タクシーで350ルピーで、朝の時間帯はラッシュもなく、10分ほどで、バス乗り場に到着です。タクシーは3キロほどしかないのに350ルピーですが、バスでの113キロの距離は4人で1180ルピーすなわち一人当たり300ルピー(360円)の金額です。今回はバスの事前予約が遅れたので、最前部の席になりました。これが、又大変です。景色はしっかりと眺めることが出来るのですが、背もたれは固定式でリクライニングにはなっていません。座席幅も極端に狭く今日は疲れが蓄積しそうです。
出発は8時半ですが、例によってネパール時間、それでも予定を過ぎて15分後に出発です。これは良しとしましょう。そうそう、この距離と時間そしてバスの質を考えると、マレーシアのKLからマラッカと同じ程度の距離で、料金もほぼ同一です。マレーシアでは三人掛けのゆったりした冷房完備のバスが、高速道路を疾走して2時間で結んでいます。片や、ネパールでは、まるでマッサージチェアーに揺られているかの如く過激な振動を与えてくれるサービスが付いているのです。更に、最前部
といえども、乗客の詰め込みは定番です。エンジンカバーの上にはクッションが張られて狭い空間には、更に4人程度座るという構造になっているのです。数年前までは、バスが郊外に出ると、乗客は我先にとバスの屋根に乗り込む光景を、目にしたのですが、最近は取り締まりが厳しくなったそうで、今回見かけることはできません。ネパールならではの風物詩が、近代化の波に押し寄せられて、消えてしまいました。丁度3年前にもこのバスを利用しました。今回は仕組みが色々と変わったようで、TIMSカードのコピーを道中三箇所のチェックポイントに提出しなくてはなりません。そんなわけで、ガイドのサルキは急遽バスを待たせて近くのコピー屋さんへ急行です。
バスはいつもの如くで細いこぼこ道を、対向車に気を配りながらの運行です。道中、様々な障害物に出くわします。行き違いをするはずのバスが両者接触したままで、如何に傷つけないように、車体を離すかで15分待ち、小型トラックは道路中央で砕石を降ろす作業に専念し、全て降ろすまで待っていなければなりません。それも、人力で大きな石の塊をおろしています。かと思えば道の中央付近まで茣蓙をしいて井戸端会議なのか、ひなたぼっこをしている老婦人会に出くわすと徐行を余儀なくされてしまいます。犬や鶏が道路を横切るのは頻繁です。バスがトリスリを過ぎ、カリカスタンを過ぎると、標高2000メートル付近の崖っぷちを通過します。そしてここが土砂崩れの名所でもあり、徐行そして対向車の待機で更に時間が積み増しされて行きます。そして度重なるチェックポイントです。こうした日本では見かけることのない運行システム(何でもあり)でたっぷりと8時間の旅となりました。
今回車両の前の方に座っていたグループの中に、ちょっと色っぽい女性が陣取っていました。勿論、発車間近に切符を購入したのでしょう。特別補助席で、椅子ではなく、エンジンの上の席が割り当てられました。バスがカトマンズを離れると、山道に差し掛かり揺れも激しくなって来ます。時間が経つと共に、彼女の顔は青ざめて、辛そうにしていました。どうも車酔いにやられたようです。それを見かけて我がガイドは席を譲りました。とたんに、窓に顔を出して嘔吐してしまったのです。丁度私の隣に座ったのでちょっと話しかけてみると、何とクウェートで3年間働いて田舎に帰るとの事。しばらくしたら、今度はドバイに二年契約で出稼ぎにいくとの事でした。なるほど、服装もどことなく、田舎の娘という印象からかけ離れ、ハンドバックにはiPhoneが入っています。うううん。ネパールの大きな変化をまざまざと見せつけられてしまいました。かかとの高い靴を履いて、スーツケースを従えて人家の見当たらない所で下車していきました。付近を良くみると、車道のすぐ側から獣道が急な下り坂が続いています。何ら変わった表情もなく、彼女は獣道の方へ進んで行きました。近年ネパールの女性も数多く海外への出稼ぎに参加していますが、その多くはメイドとして職につくことが多いと聞きます。彼女もそうした一人なのでしょう。知性やユーモアなどを感じるタイプではなく、ちょっと華麗な衣装をまとった世間知らずの平凡な田舎娘というのが印象です。久しぶりに帰る故郷に思いを込めているのでしょうか?彼女達は彼女達の人生を歩いているようです。こうした形であっという間に様々な文化がネパールに浸透していきます。服装や食習慣の変化は概して視覚的に捉えやすものです。しかし、社会的な無形なるシステムも大きく変わりつつあるのは確かかもしれません。大家族制を伝統とする生活様式も、次第にその姿を変えていくでしょう。
3年前にカトマンズの東に位置するサイルンという場所に行きましたが、途中の茶店に立ち寄った所、若い旦那が幼児を背負って店を仕切っていました。話に聞くと、奥さんは国外に出稼ぎ行っているそうで、老夫婦と若旦那、そして幼児が家に残って暮らしていると聞きました。
さて、宿につくころは、ポツリボツりと雨が、降り始めました。早速情報の収集です。カトマンズで複数の人々からゴサイクンド方面の状況を聞いてきたのですが、どうもすっきりしません。やはり現地情報は現地でというのが定番の世界です。案の条、ゴサイクンド付近は積雪が膝近くまであるという報告を受けました。またドンチェからシンゴンパへ行く道中には新しい宿や茶店も開店したなどと、現地ならではの状況を知ることができたのです。夜は小雨がしとふっていました。明日から晴天が続きますように!
出発は8時半ですが、例によってネパール時間、それでも予定を過ぎて15分後に出発です。これは良しとしましょう。そうそう、この距離と時間そしてバスの質を考えると、マレーシアのKLからマラッカと同じ程度の距離で、料金もほぼ同一です。マレーシアでは三人掛けのゆったりした冷房完備のバスが、高速道路を疾走して2時間で結んでいます。片や、ネパールでは、まるでマッサージチェアーに揺られているかの如く過激な振動を与えてくれるサービスが付いているのです。更に、最前部
といえども、乗客の詰め込みは定番です。エンジンカバーの上にはクッションが張られて狭い空間には、更に4人程度座るという構造になっているのです。数年前までは、バスが郊外に出ると、乗客は我先にとバスの屋根に乗り込む光景を、目にしたのですが、最近は取り締まりが厳しくなったそうで、今回見かけることはできません。ネパールならではの風物詩が、近代化の波に押し寄せられて、消えてしまいました。丁度3年前にもこのバスを利用しました。今回は仕組みが色々と変わったようで、TIMSカードのコピーを道中三箇所のチェックポイントに提出しなくてはなりません。そんなわけで、ガイドのサルキは急遽バスを待たせて近くのコピー屋さんへ急行です。
バスはいつもの如くで細いこぼこ道を、対向車に気を配りながらの運行です。道中、様々な障害物に出くわします。行き違いをするはずのバスが両者接触したままで、如何に傷つけないように、車体を離すかで15分待ち、小型トラックは道路中央で砕石を降ろす作業に専念し、全て降ろすまで待っていなければなりません。それも、人力で大きな石の塊をおろしています。かと思えば道の中央付近まで茣蓙をしいて井戸端会議なのか、ひなたぼっこをしている老婦人会に出くわすと徐行を余儀なくされてしまいます。犬や鶏が道路を横切るのは頻繁です。バスがトリスリを過ぎ、カリカスタンを過ぎると、標高2000メートル付近の崖っぷちを通過します。そしてここが土砂崩れの名所でもあり、徐行そして対向車の待機で更に時間が積み増しされて行きます。そして度重なるチェックポイントです。こうした日本では見かけることのない運行システム(何でもあり)でたっぷりと8時間の旅となりました。
今回車両の前の方に座っていたグループの中に、ちょっと色っぽい女性が陣取っていました。勿論、発車間近に切符を購入したのでしょう。特別補助席で、椅子ではなく、エンジンの上の席が割り当てられました。バスがカトマンズを離れると、山道に差し掛かり揺れも激しくなって来ます。時間が経つと共に、彼女の顔は青ざめて、辛そうにしていました。どうも車酔いにやられたようです。それを見かけて我がガイドは席を譲りました。とたんに、窓に顔を出して嘔吐してしまったのです。丁度私の隣に座ったのでちょっと話しかけてみると、何とクウェートで3年間働いて田舎に帰るとの事。しばらくしたら、今度はドバイに二年契約で出稼ぎにいくとの事でした。なるほど、服装もどことなく、田舎の娘という印象からかけ離れ、ハンドバックにはiPhoneが入っています。うううん。ネパールの大きな変化をまざまざと見せつけられてしまいました。かかとの高い靴を履いて、スーツケースを従えて人家の見当たらない所で下車していきました。付近を良くみると、車道のすぐ側から獣道が急な下り坂が続いています。何ら変わった表情もなく、彼女は獣道の方へ進んで行きました。近年ネパールの女性も数多く海外への出稼ぎに参加していますが、その多くはメイドとして職につくことが多いと聞きます。彼女もそうした一人なのでしょう。知性やユーモアなどを感じるタイプではなく、ちょっと華麗な衣装をまとった世間知らずの平凡な田舎娘というのが印象です。久しぶりに帰る故郷に思いを込めているのでしょうか?彼女達は彼女達の人生を歩いているようです。こうした形であっという間に様々な文化がネパールに浸透していきます。服装や食習慣の変化は概して視覚的に捉えやすものです。しかし、社会的な無形なるシステムも大きく変わりつつあるのは確かかもしれません。大家族制を伝統とする生活様式も、次第にその姿を変えていくでしょう。
3年前にカトマンズの東に位置するサイルンという場所に行きましたが、途中の茶店に立ち寄った所、若い旦那が幼児を背負って店を仕切っていました。話に聞くと、奥さんは国外に出稼ぎ行っているそうで、老夫婦と若旦那、そして幼児が家に残って暮らしていると聞きました。
さて、宿につくころは、ポツリボツりと雨が、降り始めました。早速情報の収集です。カトマンズで複数の人々からゴサイクンド方面の状況を聞いてきたのですが、どうもすっきりしません。やはり現地情報は現地でというのが定番の世界です。案の条、ゴサイクンド付近は積雪が膝近くまであるという報告を受けました。またドンチェからシンゴンパへ行く道中には新しい宿や茶店も開店したなどと、現地ならではの状況を知ることができたのです。夜は小雨がしとふっていました。明日から晴天が続きますように!
今回で7回目のネパール訪問で、5回目のトレッキングとなりました。
返信削除昨年はご一緒できなかった Mr.HOSHIBA が今回はお世話していただきましたので、
充実したトレッキングとなりました。なによりも トレッキングの様子を このブログで
アップしていただきましたので、私たちにとって 大切な宝物ができました。
今回で7回目のネパール訪問で、5回目のトレッキングとなりました。
返信削除昨年はご一緒できなかった Mr.HOSHIBA が今回はお世話していただきましたので、
充実したトレッキングとなりました。なによりも トレッキングの様子を このブログで
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